荻細工の光明院所有保管について

荻細工の光明院所有保管について

昭和40年頃の荻保存会の活動

荻細工を始めたのは、初代荻保存会会長であった堀井進氏(写真3参照)でした。

昭和40年前後に荻が群生して残されていた植生地は、(写真1)及び(写真2)に示す二カ所であったが、それも、間もなく宅地造成や環八の道路整備で刈取られて喪失したそうである。

当時の荻保存会の仕事は、まず、この自生の「荻」を株分けして下記場所に移植して残すことができた。一つ目は、選んだ荻窪駅、JRの協力を得て荻窪駅北側の線路際の小さな空き地に移植することができた。「荻」の立て札を立ててホームからも見え、かなり話題になった。二つ目は、個人宅に移植をお願いするも進展なく、結局、杉並区の協力を得て、公園、学校に広めていった。しかし、これらには、限界があった。

三つ目が本題であるが、堀井会長は、「荻」普及のために荻細工を思いつき、荻で十二支をつくり毎年の干支を杉並区、荻窪駅、中央図書館、光明院、荻窪百点などに寄贈した。

荻細工の製作

荻細工に使用する荻は太い茎、細い茎、穂の部分、掘り出した根茎等の多種多様であって多量に必要となることから、土地を借りて荻を育てて、刈取って使用したそうである。試作品ができると、まず、光明院に持参して住職に出来栄えを見てもらって、何度も試作品を持参したそうである。

光明院所蔵の十二支荻細工の写真

昨年、光明院所蔵の荻細工を視察する機会があり、撮影した荻細工写真を窪百点HP等に掲載する承諾を得ていたので、写真はすべて光明院所蔵の荻細工写真である。今年の干支は寅であるが、(写真6)では寅に見えなくもないが、正面からの写真では顔つきや焼き鏝で寅縞をつけて寅に大変似せている。

来年の干支は卯(写真7)であり、計画図を作って秋頃には試作品を一つでも完成したいと考えている。

現在、十二支が揃っているのは郷土博物館と光明院の2カ所であるが、光明院の方が試作品も含めた荻細工の個数が多い。これらの荻細工を保存するためには、広くて、換気できる部屋を荻細工の保存に一部屋を専有できる場所が必要であることから、杉並区郷土博物館や光明院が所有しているのは当然のことである。

以上