なんといっても健康 ヴィムスポーツアベニュウはみなさまの健康維持管理のお手伝い

松葉編集長松葉編集長

ヴィムスポーツアベニュウが初めに始めたのはスイミングです。

株式会社ジャパンスポーツ 取締役会長 宮嶋良寛氏
日本のスホーツクラブの原点はスイミングスクール

ーーー「ヴィムスポーツアベニュウ 」という名で荻窪百点に載っていて、総合スポーツ施設として広く知られていますが、お名刺には、株式会社ジャパンスポーツとありますね。
宮嶋 施設としてのハードの部分は「幸和企画」という会社があって、人的な運営部分は「シャパンスポーツ」というかたちです
ーーー一般に知られる「ヴィムスポーツアベニュウ」は、スポーツクラブ名で、その歴史はジャパンスポーツの歴史というわけですね。
宮嶋そうです。日本のスポーツクラプの原点は、スイミングクラブから始まっているんです。このクラブもそうですが、1964の東京オリンピックで日本の水泳が大惨敗して銅メダル1個しか取れなかった。それで、その時のオリンピックの総監督で、日大水泳部の監督だった村上勝義さんか 水永がこんなに弱くなったのは、子どもから育ててないからだと、
ーーーそこに目をつけたんですね。
宮嶋 そうです。日本のエージグループを育てないと世界に太刀打ち出来ないと。それで、東京オリンピックが終わった後に、オリンピックプールをお借りして、スイミングクラブをはじめたわけです。クラプとして、それが第一号で、それからちょうど50年ですね。

ヴィムスポーツアベニュウのプール

ーーー長い歴史ですね。ここのクラブの誕生ですが・・・
宮嶋 平成元年で、はじめから大人の方と同時に、スイミングクラプを併設しました。高級スポーツクラブで、スイミンググクラブをやっている。頭おかしいんじゃないか?と言われましたね。大人の方々の利用時間が少なくなる午後の時間を利用して子供のスクールを併設し、安定を図りました。
ーーー始めた頃の様子はいかがでした?
宮嶋 1970年前後には、日本の習い事をする児童の一番はソロバンで15%位の参加率でした。現在は、スイミングクラブに通う児童は全児童の40%にもなるんですが、結局、受験があるので小学校4〜5年生までにスイミングクラブに行かせて、体力づくりを兼ねて水泳を覚えさせたいということですね。
ーーーそうですか
宮嶋 何年前か忘れましたが、教育改革がありまして、受験競争が非常に激しくなった。それで結局、習い事は小学校5年生止まりになってしまい、中学生がほとんどいなくなって、クラブのほとんどは、幼児コースから小学校 5年生が多数を占めるようになりました。選手を目指す子どもは別ですが。
ーーー学校のあり方が、大きな影響となったんですね。
宮嶋もともと私達が目指したのは選手育成でしたが、その後に子どもが技術を覚えることもありますが躾もありました。ルールやマナーを覚え、それと同時に体力をということで、これを 3つの柱として続けています。

24歳で起業し、42歳の時にジャパンスポーツを設立

(株)ジャパンスポーツ 取締役会長宮嶋良寬氏38歳当時
ーーークラブの歴史のそうした時代背景のうちに、宮嶋さんが事業をはじめられたのは、いつですか。
宮嶋 私が24歳の時でした。48年前です(笑)。それで、昭和44年に仲間とともに別会社作って、スポーツクラブとしてスイミングクラブを運営しました。
ーーーずいぶんお若くいて・・・。
宮嶋 (笑)スポーツやっている人間は、特に、勝った負けたがきついんですよ。ですから、 一つの仕事をする時に、前を向いていたらすごいパワーなんです。ところが、ある程度余裕が出てきて横を向き始めると、喧嘩が始まるんです。
ーーー(笑)そうですか?:
宮嶋 ここがオープンする前の42歳の平成元年に至っているんです。
ーーーこれだけの施設の確保は、大変だったでしよう?
宮嶋 ちょうどバブルの、ほとんど終わった頃でしたけど、いろいろな方々から、こんな所に作って気が狂ったんじゃないかとか言われましたね(笑)。スポーツクラブは、それまで駅前に作る傾向で、そうなると特に女性は、スポーツで汗かいてシャワーを浴びてまたお化粧直しとなります。ちょっと厳しい。ここですと、そのままパッと車に乗ってそのまま帰れる利点があるんです。それで絶対いけると、おかげさまでそれなりの業績を上げることができました。本当は、もっと大きくしたかったんですがね。
ーーー相当広い敷地ですね。
宮嶋 1000坪あります。
ーーー私は最初、地主さんが土地を持ってて始めたと思ってましやが、違ったんですね。
宮嶋 (笑)総合スポーツクラブとして、プール、スキューバーダイビングプール、ジャグジーバス、スタジオ、マシンルーム、スカッシュコート、ゴルフレンジを作ることができました。しかし効率的にはスカッシュコートはよくありませんが・・・
ーーーアメックスの社長は荻窪のオフィスの地下にスカッシュのコートを作って、よくプレイしてましたけどね。
宮嶋 結局スカッシュもテニス同様、上手い人が玉を出してくれればプレーが続いて、楽しめますが、初心者同士では球を追っかけられなくてゲームがすぐ終わってしまう。動きもはげしくゲーム性も高いスポーツなのですが・・・。スカッシュとか、その変形のラケットボールが大きく普及しないのは、そういった理由もありますね。いろんな大学のスカッシュをやっている学生に、このコートを提供していますので、スカッシュ人口も少しずつ増えてくるのかなあと。
ーーーそういうことですか。
ヴィムスポーツアベニュウの施設

宮嶋 スイミングクラブが現在でも営業ができているのは、 スイミングクラプの面積がテニスコート一面分でできることですね。
また、 一つの時間帯で何人も利用できるからです。 プールですと多いときには25メートルで100人ぐらいの子どもたちが練習できるわけです。
ーーー効率の違いですね。
宮嶋 それがスイミングクラブの良さですが、一方では最近の都市部では、建物の老朽化がすすんで建て直ししたくてもやれない事情や、料金も割安で、学習塾のように万単位で取れないこと、更には、学習塾のイニシャルコストは部屋とテープルがあればいいのですが、スイミングクラブの場合、プールをつくる、機械設備が必要、そのメンテナンスもしなくてはいけないものすごくランニングコストがかかるのが大きな問題ですね。
ーーーそうでしょう。
宮嶋 それと、以前は知育と食育にはお金をかけても、体育には金をかけないという日本人の特色があったように思います。それで、スイミンククラプをつくった当時、学校の先生から、「あいつらは体育をお金にしている」なんて言われましたね。すいふん偏見を持たれた時代もありました(笑)。
ーーー今では、考えられないですね?

高齢者には水の中のトレーニングか最高!

宮場 最近はまた、大人の方がプールからちょっと遠ざかり気味なんです。それは何故かというと、水着に着替えることが面倒、終わってから着替えて帰るのが面倒くさい。・・・
全部面倒くさいなんですね。
ーーーそんな事で、ですか
宮嶋 ある程度、高齢になってくると、水の中は最高にいいですね。腰痛の場合は、水に浮力がありますので、関節に負荷がかからないわけです。うちには深いダイビングプールもあります。ライフベストを着て、ちょうど顔が出る状態で足にウェイトをつけるわけです。それで宙吊り状態でトレーニングすると、陸上ではできないところまで身体が動きますし、腰痛とか、膝が痛いという人には良いトレーニングになりますね。
ーーー昔は肌を見せる抵抗が、今は水着もいいのがありますね。
宮嶋 そうです。ほとんど膝まで身体を覆うのもあります。トレーニングで来られる今一番多い方は、60代以降ですね。健康でいたい、もっと健康になりたい、そういう方々です。いろんなお友達同士、健康でなければ一緒に遊ぶことも出来ないでしよう。旅行もね。
ーーーそうですね。

水泳だけでなく、年100回のイベントを開催

宮嶋 私どもに来てお知り合いになって、お互いに健康になっていただく、そういった方々のライフスタイルをいろいろ提供できるのではないかということで、イベントだけで年間100件ぐらい、三日に一つぐらいの割合で行なっています。ハイキングがあったり、ゴルフのコンべがあったり、ポーリングがあったり、あるいは東京消防庁の救命講習会を行なったりしています。子ども達には海に行ってお父さんと一緒に遊んだり、家族で参加でしるスキーツアーなどを行なっています。
ーーーここの施設以外にもですね。
宮嶋 スポーツクラブはただ単に体を鍛えるためだけじゃない 鍛えるというのは自分の体をいじめることですので、やつばり、目標が見えて自分が変化するまでに、ちょっと引きたくなるんですが、そういう方々が目標が持てるまでに、いろんな形で後押ししています。
ーーーどういうことをやるんですか?
宮嶋 たとえば、太田黒公園を貸切りで紅葉祭をやったりします。一般公開前に、借りまして音楽会や、あそこには茶室がありますので、参加してくれた方々に、荻窪の商店に協力してもらっておでんやお酒を提供して、食べて一杯飲んでお帰りいただくとか。2 月には、スイミンククラブの子どもたちがハロウインの仮装していろんなお店を回りながらお菓子を頂戴したりしてね。まあ、考えられることをいろいろしながら、面白いんだと、楽しいんだということを発信しています。
ーーー常に前向きで・・・、大きくなる要素はいつばいありますね。
宮嶋 止まってますと、結局衰退です。そうしないと自分たちが衰退していく気がしましてね。いつも前へ前へです。これは我々の性分かもしれませんけどね(笑)。

元は水泳選手で、東京オリン ヒックの代表候補にも

宮嶋会長の高校時代の泳ぎ

ーー水泳を始めたご自分の性格に合っていますね。ところで、水泳を始めた動機は何だったんでしようか?
宮嶋私の父親が海軍兵学校だったんです。3年か4年の時、父親とプールに行きまして、見様見真似で泳げるようになったんです。そして中学校の 3年生になって急に強くなって、東京都の新人戦で入賞するようになりました。けれど水泳部は私一人だったんで、試合に行くのもたった一人。そうなると、強い学校に寄生しながら一緒に動くわけです。そうしたら、そこの監督からお前、水泳やるんだったらうちに来たらと誘われて、そんな縁で日大附属に転校することになったんです。
ーーー途中からですか。
宮嶋そうです。そうしてインターハイにも入賞したりするようになって、その頃、いろいろな大学からのお誘いがあったんですが、日大附属に入るとき月謝も何も払わなくて入学していますので、よそへ行くんだったら内申書を書かないよと言われてね(笑)、それで日大に行かざるを得ない事になってしまって。
ーーーそういう流れですね。
宮嶋大学一年のシーズンオフに、東京オリンピック候補の合宿があって、当時、うちの大学の合宿所は、食事がものすごく悪くて、今日はご馳走だよというと、〇△(まるさんかく)スパゲティでしたね。〇はがんもどきの煮たの、△は厚揚げの煮たもの、それも小さいやつで、厚揚げもふつうの半分ぐらいの大きさ。それにスパゲティをケチャップで炒めたものがちょっと付いている。それを私たちは、「今日は〇△スパゲテイだぞ」と聞くと「おーやった。」と盛り上がったものでした。
豊山高校水泳部

ーーーそうですか?
宮嶋ある日、合宿から戻ってきたら赤いウインナーソーセージが出て、何も考えずにパクンと食たら翌朝、 40度の熱が出ましてね、大腸カタルでした。今だったら2〜3日寝て治るんですが、当時は絶食から始まって、重湯になって、選手生命としてはもうだめですね。結局、選手はあきらめなくてはならなかった。たった1本のウインナソーセージでね。悔しいですよ。これまで悔しい思いをしたことがなかったのに、初めて悔しさを感してね。

いろんな人と出会いがあって、今の自分がある

ーーーそうでしよう
宮嶋 そうなると、いろんな方からいろんなになことを言われ、人の話が聞けるようになって。それまでは、自がすべてですから、人よりも自分という感じでした。おかげさまで自分の事業にアドバイスを下さる、道しるべになって下さる方がいたりで、そういう方にお会いできたのが、現在につながったと、今、思っています。
ーーーそれがなかったら、オリンピックの代表選手になっていたのですね。
宮嶋 かもしれませんね。もし出ていたら、今の事業形態はなかったでしょうね。多分、鼻持ちならない生意気な人間で、わけのわからないところで生活していたかもしれませんね(笑)。そういう点では、人の一生は出会う方とかで、ものすごく変わりますね。好き嫌いは別として、あの人と会ったから、自分はこっちに来たんだなというのがありますね。そういった方々と今もお付き合いがあるのかというとある方もない方もいる。それでも、その瞬間、その人がそこにいたからなんですね。人生って不思議なものだなと思いますね。
ーーー選手になっていたら、このヴィムスポーツアベニュウはなかったことですね。
宮嶋 私の父親が海軍じゃなかったら、また違っていたかもしれませんね。うちの社員にも言うんです。失敗できるうちは何でもいいからやれと。そして失敗が結局自分の糧になると。成功するとうれしいかもしれないけど、自分の立ち上がる力にはならない。失敗を恐れて、文句を言われるのを恐れて、色々なものに手を出さないというのは今多いですよ。
ーーーそうですね。お利口になって慎重になってね。
宮嶋 失敗しても何とか取り返しのっく年代ってある。その時にうんとチャレンジした方がいいと思うと、 いま、社員に言ってます。

今も泳ぐと昔の感覚が蘇って・・・

ーーー今も、 泳いでいらっしゃいますか?
宮嶋 たまに泳ぐと、ああ、 いいなって思いますね。今はゴルフになっちゃいました(笑)。現役時代、自由形とバタフライを泳いでいたんですが、 今は、 バタフライは昔と違って、ゆっくり入って、体をギーっと伸ばして、ゆっくり50メーターぐらい泳ぐと、だんだん感覚が戻ってくるんですね。
ーーーそういう事のようですね。
宮嶋 バタフライは皆さん難しいと言いますが、そんなことはなくタイミングです。それと自分の体の動きをよく知っていればできることですね。例えば、クロールを泳ぐときには脇を開けなくてはならないんです。他のスポーツは、 みんな脇を締めるんですが、脇をあけると肘が上がり、肘が上がるということは手を前に出した時には、上に載っていく感じです。自分の手の長さだけじゃなくて、自分自身の筋肉をみんな使えてきれいに見えるのに、 みなさん手先だけでやるものだから・・・
ーーー体の使い方が違うんですね。
宮嶋 そうです。水泳は普段使わないところを使うから体にいいんで あって、クラブでせつかく時間をかけるのだから、それなりの成果があっていしと思います。私も 15〜6年前は皆さんにレッスンしていましたが、最近は70過ぎて商品価値がないですから(笑)。水泳連盟の参与だけは辞められないものですから現在もやっています。
ーーー経験から教えるのは大切なことですね。ほかにもやってきたことってありますか
宮嶋15、6年前は船が好きで、モータークルーザーの免許一級持っていて船に乗っていたんですが、ある時から止めましてね。皆さんはものすごく喜んで、良かった、ありがとうと帰っていただけます。東京湾は船が多いですから自分は神経をすり減らしながら運転して、帰った後は船の清掃からすべてやる。大島の近くまで遠出しましたから1時間走ると、ドラム缶1缶使うわけで、お金も使う。そうなると、ちつとも面白くないなと思ってね。やめました(笑)。
ーーーすごいサービス。おもてなしですね。
宮嶋東京湾マリーナっていう、昔の木場の方に船は置いていたんです。葉山などでは乗りたいときに乗れないわけで、乗りたいときに乗れないのは性格に合わないですね。こうだと思ったらすぐにしたくなる。だから、お店の前で並んで待つのもいやですね(笑)。

2020年のオリンピックは期待できる?


ーーー最近の水泳選手の活躍、オリンピック昔に向けてどう思われますか?
宮嶋昔は、水泳は学校体育だったんですが、今はスイミングクラブになりました。実際の経費は受益者が負担となる。ところが、その子の親はお金を出し切れません。そういったのは、みんなクラブが背負っちゃっているわけです。
ーーーそうなんですか。
宮嶋 一番問題なのは、クラブはみんな株式会社で、 社員の労働問題が絡むわけです。コーチが朝練するとなると労働時間はめちゃくちゃなわけですよ。そうかといって、時間外手当を出せるかというと出せないわけです。その子を遠征に連れていくと、その分、他のコーチが穴埋めをして負担になります。行くコーチは時間外手当が出たりして大変な金額をもらえるとなったら穴埋めのコーチは納得しないですよね。そこが、どこのスイミングクラブも悩んだところだったです。
ーーーそこなんですね。
宮嶋 それで選手をやるコーチは、固定給にしたんです。国からの補助があったらいいんですが、ないんでね。高知県の宿毛市に水泳出身の市長が誕生したことがあって、その時は、スイミングクラブに対して水道料金を減免した、日本でたったそれ一件だけです。都内では銭湯には灯油なんかの減税があったり、水道料金の減免がありますが、 スイミングクラブには何にもないんですよ。
ーーー水泳連盟で何とかできませんか??
宮嶋 日本水泳連盟は、選手登録をするだけです。そうしないと、国内の公認大会、世界大会には出られないんです。それと記録を公認して、ある意味での普及ですね
ーーーそれだけで、連盟は経済面の面倒をみないんですね。
宮嶋 本来的には、西が丘にあるようなアスリートのための国際センターというのもあります。ああいったところのトレーニングに切り替えていければいいんですが、自分のところの選手だって言いたいんで、なかなか手放さないでしよう。日本だけですよ。オリンピックの金メダル取ったら、小学校の先生まで、僕が教えたというのは (笑)。
ーーー2020年の東京オリンピック、期待できますか?
宮嶋 選手は一生懸命やっていますが、なかなか新しい人が出てくるようで出てこないですね。日本の場合、平泳ぎとバタフライと背泳ぎは強いですが、自由形はもう一歩、世界レベルからいうとダメなんですね。結局、特殊種目と言われるものの方が、技術改善の余地があるんです。背泳ぎなんかは鈴木大地さんがバサロキックというのをやって世界を制しましたし、その昔にさかのぼると古川勝選手が潜水泳法で名を知らしめました。そういった、いろいろなチャレンジする方法があるんですね。これが自由形にはもうないですから、簡単に一言えば、体の大きな人、筋力のある人が勝つ。日本人も頑張っています。体もだんだん大きくなっていますしね。

会員はご近所さんが多いが・・・

スイミング教室の風景

ーーー御社は、 スポーックラブとして、広く会員さんを集めていらっしゃいますね 。
宮嶋 ほとんどがこの近所ですが、吉祥寺や堀ノ内、永福町からも通ってこられます。
ーーー井の頭線沿線が多い?荻窪に送迎バスを見かけますけど・・・
宮嶋 子供の送迎がほとんどです。しかし、高齢のクラブ利用者も多く、車や自転車で通うのが安全面で難しくなってきている方々がいます。その為、交通の便が悪い西荻窪駅、高井戸駅からはメンバー専用の送迎バスも運行しています。また最近は、都内ではだんだんスイミングクラブか少なくなってきて。そうなると送迎バスを回さないと子どもが来れなくなってしまうんです。
ーーーそうなんですね、
宮嶋 都内のスイミングクラブでは相続が発生すると廃業し、マンションにしてしまう。そこに通っていた子供たちは近隣のクラプへ行くかというと、別の習い事に言ってしまう子供が多いですね。決めるのは親御さんで、 ここまで泳ぎをやったからもういいかということです。
ーーーそうなるんですか。

70歳で会社を息子に手渡し

宮嶋 私は70歳ですべて倅に渡すつもりでいました。同時に、 一般社団法人日本スイミングクラブ協会という全国組織の会長をやっていたんですが、 それら全部を離れて、会社も株からすべてを息子に渡して。今は全く仕事にロ出ししません。毎日会社に出てますが、 ふらふらして(笑)。外回りをやっています。
ーーー単に悠々自適ともいかないでしょう。今後をどうお考えですか。
宮嶋 私はいま72歳ですが、 このインタビューの話が倅の社長にあったときに、 この荻窪百点を見て言うんです。みなさん親父世代で、おれがでるわけにはいかない。親父出ろと(笑)。ということですが・・・
ーーー(笑)そんな事もないですよ。
宮嶋 今後の事を考えてみると、 スポーツクラブに来られる方々に、健康は自分にとって幸せなことですから、その健康を享受していただくことです。例えば最近は、歩く方がものすごけど、 これからの真冬や真夏の炎天下でもそうですが無理されて歩かれて体調を崩したり、膝を悪くしたりする方が多いです。せつかく専門家かいて。そういうことをケアしてくれるところがあるのだから、ご自分で無理されることなく、少しは健康にお金をかけてもいいのかなと、いう気がしますね(笑)。 私は、よく言うんですが、 子どもには無理させてもいいと、大人は無理させちゃだめだと。子供は10の力を12やらせると明日か明後日は12になりますとね。
ーーーそうなると、 クラブは子どもとお年寄りがターゲットになりますか?

ダイエットで痩せるよリも健康が大切


宮嶋 そうですね。働き盛りの方はなかなかトレーニングマシーンはいいものが入っているので、使っていただきたい。はっきり言って安いマシンと高いマシンとでは、同じようにやっても体に対する効果が全然違いますから。時々このマシン5万円くらいで買えるの?なんて聞かれるけど、冗談じゃない、車1台分ですよ(笑)。
ーーーやっばり。
宮嶋 ダイエットで痩せたい人も来ますけど、痩せるよりも自分の健康状態をずっと維持することが大事であつて、痩せてかっこいいからなんて、これまた別の話だと思うんですね。テレビでよく宣伝をしてますが、ああいった痩せ方をさせてくれと言われたら、他にいくらでもできるんです。
ーーーそうでしょうね。
宮嶋 トレーニングはきついですし、食事制限もきついですが、サプリに大きなお金をかけるのは、どんなものでしようか。2か月間でこうしたいというのであれは、そういう体にしてあげますよと言ってもね、皆さん食べちゃう(笑)。
ーーー薬やサプリメントに頼っては、健康的でないですね。
宮嶋 先ほどお話したように、うちでは、イへントにも力を入れています。春と冬、スキースクールもやっています。大人の方ですと、北海道ですとかカナディアンロッキーですとかツアーもやっていますが、けっこう皆さんに喜んでもらっていますね。
ーーーご自身の健康のためには、今は何をされてますか?トロフィーがありますが、あれは?
宮嶋 あれはゴルフで優勝した時のものです。私の所属クラブのメジャーなものを二つ頂いたんです。最近は駄目です。距離も落ちてくるわで。2月には年に2回のコンべがあるんですが 100人くらい参加するんですが、和気あいあいとした楽しいコンべです。それにしても、何と言っても健康づくり、維持です。皆さん考えて欲しいですね。うちは、そのお手伝いということです。
ーーーそうですね。これから施設の見学をさせていただけますか?
宮嶋 わかりました。。こ案内します。


名   称 : 株式会社ジャパンスポーツ
本社所在地 : 東京都杉並区宮前2-10-4
電   話 : 03-3334-6321(代表)
代 表 者 : 代表取締役  宮嶋 優光
創   業 : 昭和44年1月


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次回は、東京カートグラフィック(株)代表取締役社長 西山和輔氏