幼児の美しい心、すこやかな体、ゆたかな夢を育ててきた60年 幼稚園・保育園・こども園を総合的に支援する。
[char no=3 char=”松葉編集長”]チャイルド社が海外でまだ進出していない都市はロンドンです。[/char]

チャイルド社が荻窪に誕生した!
ーー 早速ですが、チャイルド社の創設された歴史からお聞きしたいですね。
柴田 もともとは、僕の祖父・柴田豊が呉服屋を愛媛の松山でやっていまして、ところが戦前に相場に手を出して失敗してしまったんです。それで残ったお金を持って南米のチリに渡ったんです。サンディエゴに行って、そこで商売をするつもりで、リサーチに行ったんですね。
ーー 大胆ですね。
柴田 そして行った時に、向こうで出版業をやろうと思って日本に印刷機器を発注したんです。それで、それを取りに来ることもあって、一度、日本に帰ってきたけれど、その時点で戦争になってしまい、向こうに戻れなくなってしまって・・・。その流れで戦後、昭和24年にチャイルドブックを創刊したんです。その後は、ずっとそれをやってきました。
ーー 荻窪にというのは、何か理由があってですか?
柴田 もともとは愛宕で始めたらしいんですが、それから2年後に荻窪に移して。今の桃二小学校の近くに、その後、ここに越してきました。ここが家だったからです。その辺の時点で、版権は、他の会社に譲って、うちは販売をするというなったんです。 編集なども、その会社に移しました。
ーー チャイルドブックから、チャイルドと言う名称を社名にして、それから今も幼児を対象の事業をされている。
柴田 そうです。当時保育園はあまりありませんでした。保育園というと一般の考えも、子どもを預ける場所という考え方だったので教育という意味では、昔は幼稚園が主流でしたし、幼稚園は多かったですね。
ーー 今は、幼児のグッズ関係へと事業を広めてきましたね。
柴田 それこそ、戦後すぐの物のないときからです。うちのおじいさんはエ夫をするのが好きな人で、例えば、鍋にロウを溶かして、それに染め粉を入れてクレョンを作っていましたよ (笑)。
ーー クレョンですか?
柴田 そう、今の本社社屋のあるここで作っていました。それとか、自由画、自由に絵を描くという、あれは僕のおじいさんが作ったんです。自由画帳という名前はおじいさんが付けたんです。ほかには記億にあるのは、 ハサミですね。、今はないですが、カエル股といって、普通のハサミは指を挟むじゃないですか。子どもが指を挟まないようにカエルの股みたいなハサミを作ったんです。そのときは、木型を作るのにおじいさんが木型職人のところにずーっと3日ぐらい横についてああでもない、こうでもないと、言って、それに僕が付いて行って・・・。そんなことがありましたね。最初の頃はそんなことをやって、作って行ったという時代でした。
就園率の変化によって大きく舵を切る
ーー 幼稚園の歴史とともに会社の歴史も対応していったんですね。
柴田 子どもの数は、昭和53年がピークですけど、それと就園率が飛躍的に増えていったんです。それに伴って、商売としては去年と同じことやっていても売上げは増えていくという時代が昭和53年ぐらいまでですね。その後は、出生率が減っていって、普通にやっていては売上げが減っていく、そういう時代に入っていきました。 一方で、保育園が出来て、保育園の就園率が増えてきて、今は、それに拍車がかかっている状態ですね。
ーー 国で、政策として保育園を増やすことを打ち出しましたね。幼稚園から保育園に替えた第一号は、桃井2丁目にある聖心保育園と聞いてます。歌人の与謝野品子の親戚にあたる人の経営でしたが・・・。
柴田 もともと、幼稚園は文科省で、保育園は厚労省の管轄なので、そういう中で、どっちに比重を移していくか、国として考えたとも僕は思うんですが。あと、ここにきて保育園というのは、保護者の働き方の問題が、そういう方向付けをしているので、うちとしては、ニーズがそこにあるので、それに合わせた事業ということになると思います。
ーー 国が助成しているのは保育園ですか?
柴田 助成しているというか、今は日本の幼稚園、保育園は公定価格という制度と私学助成という両方があるんです。公定価格という制度は国が一定の保険料を決めてそれを市区町村ごとに保険料を決めてそれで、同じ市区町村の保育園、あるいはこども園、公定価格の幼稚園は全部同じ金額にしています。ただし、保護者の所得によって金額が違ってくる、それが公定価格です。いま新しく出来ているこども園もその中に含まれています。幼稚園も一部入っていて、それ以外は私学助成という制度になっています。
それとある程度幼稚園をこども園化していこうというのが国の基本的な考え方なんです。
幼稚園はほとんどなくなる?
ーー そうなると将来的には、幼稚園はどうなりますか?
柴田 ほとんど無くなることになります。これから20年後には幼稚園児の子供の数が今の30〜35%になると言われています。それで、保育園の子供の数は5〜6歳時がだいたい110%ぐらいと言われています。0、1、2歳の就園率が増えておよそ倍になる。 ですから、幼稚園が減って保育園がその分増えて、なおかっ0、1、2歳児の就園率がばあっと増える構図になって、それで園児人口はあまり変わらないということです。
ーー いま大変な話題の待機児童の問題はどうお考えですか?子どもがいない人でも一般的に関心のある話ですね。そのあたりを視野において専門的なところをお話下さい。
柴田 「保育者研修」という本を私が書いたのですが、保育園、幼稚園に働く新人から中堅を対象にした研修をやるための本です。基本的に、どういうことを知っていなければいけないか、身につけるべきものを書いてあります。今の、幼稚園、保育園の事情も書いています。
待機児童と杉並区
ーー 幼稚園、保育園の今後の経緯の中で、地域性のあるお話をお聞かせ下さい、
柴田 たとえば待機児童問題について言えば、二重構造になっていまして、都市部と地方とはまるつきり事情が違っていて、地方の方に講演で特に言いますのは、長崎の保育園の例で、80年ぐらいに園ができたときには、園児が 30人だったんですが、それがピークの1900年代に、120人にもなって、それが今は、また30人に戻っている。実際にはいま24人しかいないんです。その町の出生数が10年前は64人でしたが、去年の出生数は1人。それだけ地域に格差がある。東京の場合は、杉並は今年の4月に出来たのが40園。認可保育園で10園、それだけの数が出来ている。2300人の子どもを預かるスペースが杉並区に出来ている。地域格差というのは、そういうことです。
ーー 区長が待機児童対策として2000人収容という目標を出した。160人ぐらいオーバーしたけれど数字的にはほぼクリアですね。しかし、実際的には。また次のことを考えなくてはいけない。
柴田 待機児童は入れるとなると、「私も入れる」となる。待機児という概念は簡単に言うと、保育園に入りたいという申込者を出したにもかかわらず、入れなかった人が待機なんです。細かい規制はあるんですよ。出してなければ待機じゃないから。ところが、潜在待機児といって、できたら入りたいと思っている人は、かなりの数がいるんです。今、幼稚園、保育園に入っていない子ども、0、1、2才児の三分の二の親は、「入れるなら入りたい」と思っている。その数を考えると、杉並区でも多分7000人ぐらいはいるんですよ。それに対して手を打たないと、どんどん入れるスペースを作っても、また、待機児童が増えていくのが実情ですね。
ーー 追いかけっこになる。
柴田 (笑) ですから、僕も杉並区のこども子育て委員会でやっていますが、そういった中で、今いる待機児がどうということじゃなくて、 そういった入りたいと思っている人達の数を考えてやらないと泥縄式に増えていくという話です。
ーー 杉並区は受け入れると聞いて区外からの流入が多いと言われています。それが小学校に影響が出て、教室がたりないという。そこの関連性でも考えなければいけよい。 一つだけ回避なんて問題じゃないですよね。
柴田 今、入れないという待機児童は、全部1〜2才がほとんどで、結局、そこが足りないんですよね。外部から来る人間はいるけれど、そんな多くはありません。
新しい事業としての園ピューターを開発!
ーー 30年以上前に先代の社長と話していて、柴田さんがパソコンの分野の方に力を入れて・・と聞いたことがありましたが、その頃のチャイルド社の事業内容をそのまま引き継いでと思っていらしたからか、ちょっと何か言いたげでした。
柴田 親父とは喧嘩ばかりしてね。経営に対する考え方とか、姿勢も違うしね。親父は昔の経営者ですね。経営者というより、爺さんから受け継いでやっていたという感じ。創業者は幼児教育に関わる人達だったので。うちの会社はそれで来てましたからね。それはそれとして。
ーー パソコンの分野は今にして見れば、 いまの社会では絶対に必要で、会社にとって大きな事業力となった素晴らしい取り組みだったんですね。
柴田 いや、それに、昭和53年をピークとして、子どもの園児の数がガッと減って、うちも売上げが減って、それで今までと同じようにやっていたらもう先どうなるかわからないという危機感があって、新しいことをやらなければということがありました。何をやろうかと言う時に、 一つは鉄製の遊具を作ろうかなと工場を買い取ってと考えました。しかし、それよりも、これからの時代はコンピュータかなと、ということで、コンピュータをやることにしました。それが昭和57年でした。
ーー すばらしい決断でしたね。
柴田 園ピュータという名前の、どちらかと言うと保育園専用のコンピュータを作ったんです。それは、コンピュータというよりソフトですけどね。保育園というのは一般の会計と違って社会福祉会計基準準則という法律があって、独特の社会福祉法人の会計をやらなければいけないんです。給与も普通一般の給与と違うこともあるので専用のソフトを使って、売り出しました。最初のうちは色々ありましたけど、今は、日本に認可保育園が1万2000件ぐらいあるうちの4000件ぐらいが、うちのソフトを使っています。だから大きなシェアも高いし、売上げ額は大きくはないけど、粗利益があって、ソフト開発してあとはたくさん売れれば利益率は80%とか、そういう金額になります。コンピューターに関してはそんなところで、今は引き続き会計ソフト以外のソフトも作っています。
園を支援するソフトを開発
ーー やっぱりすごい。
柴田 特にいま、保育園の保育士がたりなくなくて、それをコンピュータを使うことによって省力化しようという国の方針があって、前年度は、1園あたり100万円、勿論希望があった園ですけど、補助金が出た。それを使ってうちのソフトも買っていただいて、それで次々とソフト開発というのはされてきた。
ーー 園では、いろいろなソフトが必要でしようでしょう。
柴田 もちろん、会計一つとってもいろんな国の基準が変わっていくので、それに合わせてソフトも変えなくてはいけないし、給与なんかもいろいろ変わっていくので。それに合わせてやっています。コンピューターに関しては、園でどういうことをするかということについては、保育園のict活動ということで・・・。
ーー ictってなんの略ですか??
柴田 インターネット・コミュニケーション・テクノロジーです。
ーー 最近、省略することが多いからわからなくて・・・
柴田 僕自身、年齢的に言ったら強い方だと思います。昔はプログラムはやれなかったんですがそれこそ、システム設計はやってましたし、一時は保育専門学校で、保育士の人達に、保育士として必要な常識としてのコンピュータを教えていましたし、まあ、ある程度勉強はしました。
ーー 大学を卒業して、会社へすんなりというわけじゃないんですか?
子供の頃からチャイルド社を継ぐ気になって
柴田 青山学院大学を出て、その後、第一勧業銀行に入社して戻ってきました。
ーー 専攻は?
柴田 専攻は経営でしたが、自分らのときは学生運動で授業なんて全然なくて。高校から大学に行く時の大学入試に、東大の入試がなかったんです。安田講堂の事件があって。中止になったんです。その時が、昭和44年で、 その年代です。東大に行きたかったけど行けなかった(笑)・・・。逆に銀行入る時に東大の卒業生がいないので、逆にラッキーでしたね(笑)。留年組しかいないんです。銀行には、親父に入れと言われて入ったんですが、結果的にはよかったです(笑)。勉強になりました。幼稚園・保育園のコンサルタントもやっています。今、600園ぐらい入っています、
ーー その道のりは、前から決めていたことでしたか?
柴田 そうですね。それは子供の頃からここを継ぐことは言われていましたからね。親父に言われてその気になっていたということですかね。 ここに戻ってきたときは、昭和53年ごろで、子供の数が減り始めたときで、そこからが大変でした。もっと長く銀行に居るつもりだったんですが、親父が心筋梗塞で倒れてもう危ないと、なって、戻ってこいとなって・・・戻ってきたら元気になって(笑)。
ーー そうなんですか?そう言えばもう一人兄弟が事故で亡くなってるでしょう?
柴田 3人兄弟で、まん中が大学の時に亡くなって。今一番下が、 ここの専務です。
ーー 長男として社長を。そして、いろいろな事業を伸ばしていますね。
柴田 例えばドリームバスと言っているんですが通園バスも作ったりしてね。最初は、子どもが保育園に行きたくないなんて話があって、じゃあ、こういうバスをつくれば、楽しんで行くんじゃないかと思って作りました。300台ぐらい売れましたね。いろんな種類がありますけど。これは本当に最初の頃のです。
ーー これは車メーカーとの提携ですか?それとも設計上の・・・
柴田 これは改造しました。だから、三菱自動車からマイクロバスを買って、それをこういう風に改装したんです。
ーー そうですか。
柴田 今は、新しいのはホームページを見てくださればありますから。
ーー 事業としては、園に対する提言も方法ですね。
柴田 そうです。いつばいあってですね。最初の頃は、コンピューター、建築関係、園舎ですね。これは改修なんですけど、うちで作りました。そして幼児教育の本を作って教室を園で展開したりしてます。その本はまだ出来上がっていませんが、今月出来てきます。
ーー 園も助かりますね、いろんなアドバイスがあれば。
柴田 そうです。今は小学校との連携とかが問題になっていて、それを幼稚園の時期から、あるいは保育園の時期からやるということのノウハウかあまりないので、今の園には。それをウチが提供するということです。
園に必要な全てのノウハウを提供して
ーー そうですね。小中一貫はよくいわれますけれど、確かに幼児からというのは無いですね。
柴田 今は文科省が考えている。そういうものをしつかりやりましょうと。連携についてはやっていますけどね。新しく来年の4月から、保育指針、幼稚園教育要領が新しく改正されます。それと小学校との連携、何をどう連携していくかということが、強く出ています。
ーー 取り組みですね。
柴田 最初の頃にそれが出ています。
(本をめくりながら)
ーー大変ですね。これだけの量があって。毎回やっても何年もかかる量ですね(笑)
柴田 これが概略ですが、幼稚園・保育園の専門書は数もあまり出ませんね。ほかにこんなものも書いています。これは幻冬舎から出た本ですが。
ーー 幻冬舎ですか?うちも新刊紹介でお世話になっていますが、「あなたを悩ます話してもわからない人」 ですか?執筆にも力を入れていらっしゃいますね。幼児教育関係たけじゃないんですね。
柴田 そうです。いま2冊目を書いているところです。
60歳にして保育士の資格をとって
ーー これだけまとめるというのは大変ですね。
柴田 僕は、9時から9時半に夜は寝るんです。朝は4時から4時半に起きて、そこで1時間から11時間半、静かな時間に書いています。静かに書いいないと家族の怒られるんです(笑)。
ーー それは、もう文筆業ですよね。
柴田 僕自身は保育士なんですよ。60歳の時保育士の資格を取ったんです。うちは保育園もやっているので、総園長をやっているんです。あと川越の保育園の理事長でもあるんです。いい加減なことをやるわけにはいかないので、資格を取ったんです。教会通りでもやってています。一応、総園長なんです。それ以外に弟の所も社会福祉法人で、いま4件やっているんです。
ーー 株式会社三恭というのは?
柴田 保育園というのは社会福祉法人です。園にコンピュータを入れた時に、普通のリース会社は、リースの審査に時間がかかる。要するに社会福祉法人なんてよくわからないので、お客さんに迷惑がかかる。それだったら、うちでやろうと、リース会社をはじめたんです。リース会社をやっているのが(株)三恭ということなんです。それて、それの関連で、ある程度お客さんかしっかりしていれば、儲かる仕事なんです。それでその利益を地元に還元してということで、保育園を始めて、還元しすぎて赤字経営です(笑)。
ーー 教会通りのは何人収容なんですか?
柴田 60人ぐらいですかね。
ーー そんなにですか。他にも何か・・・
柴田 タイのパンコクで日本人の保護者相手に講演会をやってます。香港と北京にチャイルド社はあるんてす。簡単に日本の教育を持っていってもダメなんです。極端な話、豚の鳴き声も国によって違うし、だから、そう簡単にいきませんよ。
ーー 一人で、あれもこれもじや大変じゃないですか?
柴田 いえ、みんながやってくれていますから。園にもめったにいかないんです。運動会とか卒園式とか、入園式とか。理事長なので挨拶には行きます。
ーー 講演会などもお忙しいでしようしね。
柴田 講演会は、今の園の現状と、どういう園なのか?そういう風になるには何が重要なのか?きちんと理念を持って理念にそった計画をきちんと立てて、それをやっていかなければいけませんよと。この2つは僕が担当です (笑)。園関係者の管理職に対しての講演とかは、年間にだいたい30箇所ぐらいかな?それぞれの地区の団体から頼まれたり、うちで展示会をやるので、その時にやったりです。
いま一番の関心は、発達障害や心の病気を持つ人のためになること
ーー 多彩にご活躍ですね。このインタビューのあとに、百点で幼児教育の特集をやりたいですよ(笑)。
柴田 僕はあまり幼児教育とか、保育は得意分野じゃなくて、どちらかというと園の経営運営と発達障害とか心の病気などの方が得意なんです。肢体不自由児は目で見えるから、まだいいんですよ。発達障害児や心の病気は目に見えない。結果的にいろんな問題が出てきて、そんなことを話しているんですよ。
ーー そうですか。興味を持ったきっかけは何ですか?
柴田 よく話すんですが、銀行員だったり、保育園の園長だったり、会社もやっていて、いろいろクレームが来るんですよ。普通のクレームはいいんだけど、クレーマーに非常識な人たちがいて、普通の人たちと感覚が違うなあ〜と思って。先程話したように、保育士の資格を勉強した時に、精神保健という科目があって、精神保健というのはそれこそ、発達障害、心の病気のことを勉強する科目なんです。その科目にひかれて、一生懸命勉強したんです。その結果、あ〜そうなんだと。発達障害を持っている人達が持っているものと、非常識なクレーマーが持っている要素に共通点が多くあります。共通点のある人は結構いるんですが。その辺を勉強して、結局この本を書いてたんです。
ーー この本ですか?「やさしいあなたが苦しまないためのあなたを悩ます話してもわからない人」。タイトルからしても、日頃接して悩んでいる人には参考になりますね。
柴田 そうだと思います。普通の人と同じ考え方をそういう人が持っていると思わずに・・・。そこを理解してそれに対応しなくちゃだめなんです。
ーー そうでしようね。
柴田 そういう人達を理解して、そういう人だという前提で対応しないと、こちらも困るし、それから相手の人達も困りますよと。そういうふうになつている人達も困っているんですよと、そういう気持ちですね。
ーー 法律事務所もやっていますね?
柴田 これはうちの今の経営戦略として、幼稚園・保育園でのことは全てチャイルド社におまかせくださいという風に持っていきたいと思っています。その中で、僕の甥っ子が弁護士でして、法律事務所は今年の1月に作って加えましたね。 これ以外に経理も幼稚園・保育園は普通の一般企業と違って大変なので、7月にYHK会計事務所(幼稚園・保育園・法律事務所の略)を作りました。最近、社労士事務所も作りました。
ーー 総合的にどんどん攻めていますね。
柴田 物販じゃない所もしつかりやっていきたい。他のこともそうですが、全部の根底にあるのはお客様の役に立っことをしていきたい。そのためには、今の事業以外の他のこともやっているというのが現状です。
ーー まとめるのは大変ですね。
柴田 私は毎年『経営計画書』というのを作っていますが、その表紙に書いてある『わたしたちのねがい』が当社の経営理念です。《幼児の美しい心、すこやかなからだ、ゆ たかな夢をそだてる。それはチャイルド社の願いです》。毎年、経営計画書を作っていて、それに基づいて会社を経営しているんです。もう40年近くつくってやってきました。
ーー まさに多角経営者ですね。
柴田 老人ホームとか、知的障害者施設とか、肢体不自由児施設とか、そういう所に多少取引があるんで一部関連があっても、基本的には幼稚園・保育園・こども園です。
祖父の代から変わらない基本理念
ーー ご自分の大切にしている言葉はありますか?
柴田 この会社の創設に関わった幼児教育研究実践家の倉橋惣三先生。日本の幼児教育の魁の人ですが書いている こういうのがあるんです。〈わえ君、温室のように無理強いに咲かせるものでもないし、といって、もちろん、野原のように野生のまま放任しておくのでもないし、自然に成長して、自然に咲くべきものに、適当な培養を与えるのが君の仕事でしよう。 そこには野生でない自然がある。温室でない培養がある。強要でない期待がある〉
この言葉は、子どもに対しての保育者の心構えを説いているもので、 いつも肝に銘じています。子どもに無理やりおしつける教育はいけませんよ、と。祖父の代の60年以上前のことですから、詳しいことはわからないんですが、倉橋先生も昔、チャイルド社に関わっていたんです。関わっていたのは、他にも「ぞうさん」「やぎさんゅうびん」のまど・みちおさんも創刊から編集。カットに社員として携わっていました。そんな人たちが最初は関わってできたこの会社の基本理念は、今も変わりません。
ーー 保育を取り組みのべースとして、その精神を今も継承してやっているんですね。
柴田 そうです。だから、 好きな言葉というと、ちょっと長いですけど、倉橋先生のことばですかね。
ーー 幼児教育の基本として、「躾け」のことはどう考えていますか?
柴田 躾けで一番大切な時期に手抜きをしている感じですよね。意見を言ったりしていましたが・・・。 いまは何か言おうものなら、「うちの子に何ですか!」って誰も何も言えない。声をかけただけで誘拐間題になったのではね。国ったものですね。いろんな問題かあって、下手に言えないし。
ーー 保育園などでも名簿が作れないですね。
柴田 そう、名簿は基本的にはない前提だけど、なんか連絡網は公にはできないし。うちの子は下の子がまだ沓掛小学校五年だから。上の子が中学で、この分野はいろいろありますよ(笑)。
ーー なんだか、よく分からないけれど、すごい。
柴田 こどもが幼稚園のときは勉強になりましたね。実際に保育園をやっていますので。イチ保護者として、 自宅は清水3丁目なんで。昔はここ(会社のある所)が自宅だったんで、。桃二小、神明中でした。うちの親父も桃二です。
ーー そう、私も桃二です。
柴田 親父は大正12年生まれで日大二中でした。
ーー 当時は、桃二から私立へ中でも成蹊に行く人が多かったですね。
柴田 僕の頃は、1学年で13クラスありましたね。結構遠方の越境の人が多かったから、朝、駅からのこの前を通って入っていました。
ーー 昔の荻窪では親だけでなく周りの大人が見て、意見を言ったりして地域で子供を育てていた感じでしたが・・・。 荻窪らしいですね。
企業人としての社会貢献も!
ーー 会社経営をやっていらっしやると、社会貢献とかで頼まれもし、つながりも多くなって・・・。
柴田 そうなりますね。荻窪法人会と杉並商工会議所は両方共副会長です。
ーー 会長とかいう話も聞きますが?
柴田 いやいや、そのうち小竹先輩にお世話になった恩返しをしなければいけませんとは思っていますが・・・。先輩にお世話になった分を後輩に恩返ししろと坂田さんに昔言われて(笑)。ですね。インタビューの予定に入れさせ ています。
柴田 それと、区の関係の仕事としては子ども子育て会議と情報保護審議会、杉並区の社会福祉協議会の理事などもやっています。
ーー お話が多岐にわたって内容豊富で、どうまとめてよいやら。最後に、お忙しい毎日。通常の一日のスケジュールを聞かせてください。
柴田 そうですか(笑)。朝4時に起きて、筋トレを30分くらいやって、朝ごはんは自分で作って(笑)。料理が趣味ですから。だいたい、サラダに納豆を入れて、たべているようです。健康食ですね。あとはヨーグルトを食べて。ヨーグルトも自分のところで作っているんです。会社に8時過ぎにきて、その時に、決まった仕事はなくて、出張が多くて、一週間に1度は出張しているんで。海外出張もあるんです。
ーー すごいですね。
柴田 講演会もありますが、会議とか、 一応社長業もやらなくてはいけないので(笑)。
ーー 趣味とかスポーツ第やってらっしゃいますか?
柴田 ゴルフ。週に1回、行っています。(平成29年9月)
名 称 : 株式会社チャイルド社
本社所在地 : 東京都杉並区南荻窪4-39-11
電 話 : 03-3333-5105(代表)
代 表 者 : 代表取締役 柴田 豊幸
創 業 : 昭和23年11月
次回は、次回は(株)ジャパンスポーツ取締役会長 宮嶋良寛氏
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