荻窪の将来を考える ー区長の政策判断ー
[char no=”3″ char=”松葉編集長3”]杉並区が東京都制施行により東京都杉並区になったのは昭和18年です。[/char]

政治家への道
——都議会議長の任期半ばで杉並区長選に出馬し、区長になられたことはとても強い印象でした。その動機についてはどういう事だったのでしょうか。
田中区長 急に私の前任者が区長を辞めて地元が混乱したのが、きっかけでした。私はそのとき民主党でしたが、自民対民主という構図を持ち込むことには反対で、自公民で腹を割って話しあえばよいと思っていました。しかし違う方向に話が進み、区長不在で40日間が経ち、杉並選出のキャリアのある都議会議員として私に出馬しないかという話が出てきました。当初は自分がやるとは想定していませんでしたが、政治的責任を自分も負うべきだと思いました。事態の収拾のためには自分が背負って立つしかない、これも自分の運命かと考えて決断しました。
——学生時代から、政治への道を考えて過ごされましたか。
田中区長 明治大学に入学したのが昭和55年です。全共闘世代が残した最後のあがきのような雰囲気がありました。興味があって入部した雄弁部で、そういう仲間達とも知り合い、刺激も受けました。同意できないところもあり対立もしましたが、自分の考え方を深めていくうえでは反面教師になりました。政治との関係でいえば、学生時代から選挙の手伝いに駆り出されていました。4年間で10回位でしょうか。ですからその世界は少々かじっていたわけですが、組織や資金があるわけでもなく、自分が当事者になるとつきつめて考えることはありませんでした。
——政治家への道は、いつ頃から目指しましたか。
田中区長 少しずつ考えるようになったのは、三十歳が見えてきたときです。大学を卒業して就職し、6年弱、サラリーマン生活を送りましたが、自分の思う仕事とは違うかなとずっと感じていました。就職して1年目の最後に転勤した支社では、営業の最前線として比較的自由に仕事をさせてもらいました。そこでの仕事は面白く、自分でも性に合っていたと思います。4年間勤務し、本社に戻りました。営業のセクションでは年代的に中軸となり、いい仕事もさせてもらったと思いますが、二十八、九歳にさしかかり、自分の生き方を真面目に考えるようになって、社会や地域に貢献する仕事に就きたいと思うようになったのです。
——政治家に実際に転身した平成3年から2年余の区議を経て、都議で活躍されましたが、実際に議員になってみてどのように感じられましたか。
田中区長 予想どおりの部分もありましたが、自分の知らない世界をたくさん知り、難しさも分かってきたのは都議会に入ってからです。私が他の人と若干異なるのは、平成5年の日本新党ブームで都議会に入り、野党で連続当選して、生き残ったのは自分位しかいない点です。そういう中で、若造でありながら会派を背負って役職に就き、ベテランの人たちと交渉事をしなければならず、これで鍛えられました。誰かが責任を背負って物事を決定しなければならない状況に直接関わる機会が多かったので、とても勉強になりました。今は区長となりましたが、過去に得たこれらの経験が良い教訓になっています。4期目、5期目は本当に忙しく、4期目では幹事長を3年間務めましたし、選挙対策にも関わりました。5期目は都議会議長として、今、話題の豊洲の整備費が初めて予算に入り、予算審議等に深く関わりました。
荻窪のまちづくりの取組み
——杉並区では、今、新たな「まちづくり」に取り組んでいます。これまでの「杉並区基本構想」においては、地域を特定する地名は出していませんでしたが、田中区長就任後に初めて「荻窪」の名を出しました。
田中区長 荻窪は 区の中央にあって 区内で最大の駅ですし、発展の可能性が潜在的にあるにもかかわらず、なかなか実現しない。大きな交通結節点ということも真剣に取り組むべき課題だと思いました。行政的には難しいのですが、正面から取り組むのにふさわしいテーマだと思いました。荻窪のまちづくりを担う人たちの声や期待に今まで応えてきたかというと、疑問符がつきます。
——区長としてのご活躍については、常々広報などでも知られるところですが、このたび「荻窪駅周辺まちづくり方針」の中間まとめ報告が出ました。「荻窪まちづくり会議」とその在り方についてはどう思われますか。
田中区長 まちの声のまとめとして、まちづくり会議から「荻窪駅周辺地区まちづくり構想」を提案してもらって、その構想等を踏まえて、区がまちづくり方針を策定しています。区長の私が基本構想に荻窪のまちづくりを入れ、それに基づいてまちづくり会議が行われているわけですが、まちづくり会議は「来る人拒まず」です。その結果として、さまざまな意見が出され、まちづくり会議としてまとめることの難しさもあっただろうと思いますが、基本構想の理念に沿って、共有された意見は尊重していきたいと思います。
——まちづくり構想の中での荻窪最大の話題である「南北問題」については、難しいことですが、十分議論されないうちに中間報告が出てきて街の人も戸惑っているのではないでしょうか。
田中区長 ざっくり言えば、北は開発志向、南は現状維持で南北が分かれていると聞いています。そういう集約がなされたのなら、それを踏まえた方針を作成していくことになるでしょう。ポイントは絞られていると思います。タウンセブンもルミネも15年から20年で更新期を迎えます。その際、次にどういう荻窪のまちをつくっていくかというプランが必要で、その時に議論してもなかなかまとまらない。だから今からやっていこうということです。ただし、調整には時間がかかるでしょう。JRにとっても地元にとってもメリットがある計画をつくること。両者にとってWIN—WINの関係をつくっていくことが求められます。それから荻窪駅北東地区は、十分に利活用されていませんが、民間の人たちが権利を持っているわけで、彼らにはもっと大きなまちづくりを考えてほしいと、機会があれば言っていこうと思います。
——街の人の意見を聞きながら区がとりまとめていくというやり方をとる中で、色々現実的な問題が浮上していますね。
田中区長 たとえば、荻窪駅周辺のまちづくりに関していえば、一番大きな点は今言った南北分断が問題になっています。線路の高架化については、地元は、何十年前に反対して今のように決着がついています。しかしこのままでいいかというと、何十年前の高架化反対は間違った判断だったという人たちは大勢いるはず。でも動かせないと。将来を見据えてどうしていくかで、色々なやり方を考えていかないといけません。人間が造ったものは、古くなったら、合意形成を図りながら造りかえなければならない。しかし、杉並は既にまちが完成していて、かつ権利が錯綜し利害関係が絡みあっていて一枚岩で進まない。投資効率も悪いし費用対効果も問題がありますが、そこをどうしていくかが問われます。
私の就任前は「それは都の役割だろう、いや、それは区の仕事だろう」とキャッチボール状態で押し付け合っていました。しかし、これからは区が背負って絵を描くので、あとは関係者がどう協力し連携していくか。そういった方向性を区長として示していきます。
区政の方向性と今後の課題
——基本構想に掲げた目標は、誰もが納得するような項目ですが、具体的にそれを区政に落としていくとなるとハード、ソフトなどいろいろな課題があります。いわゆる総論賛成、各論反対ですね。空疎な特定のイデオロギーや理念をふりかざしてというよりも、具体的な課題を一つ一つ解決していく積み重ねが重要だと思います。その中で、その時々の区長の考え方なりが投影されていくのではないでしょうか。現在の区政を担う上での心構えをお聞かせください。
田中区長 私は区長に就任してすぐ、「継承すべき、見直すべき、新たに取り組むべき点」について部課長にレポートを出してもらいましたが、認可保育園の増設についての言及は何一つありませんでした。それほど問題意識がなかったわけです。一極集中問題にしても女性の社会進出にしてもこの30年で世の中は激変していますが、その変化に素直に向き合おうとしなかったツケが来ています。今その遅れをとり戻しているところです。
私は「地元に骨を埋める」という自負があります。私は就任する前から、首長というものは「政治家として枯れていなければいけない」と思っています。つまり、自分の政治的野心の手段として自治体を担っていると判断が鈍ります。自治体の経営に専心するためには政治的野心を枯らさないと判断を誤り、話題性とか政治的パフォーマンスに偏ってしまいます。
そういうことから私は、職員とは、人間としてつきあいながら本音を話してもらうことが大事だと思っています。地方自治体は、大統領制をとっていますから大きな権力を区民に託されて決定的な力を持っているわけですが、間違った判断をしないために、私は皆の意見を聞きたい。それを聞き出せる環境づくりを心がけています。
——そのための一番大切なことは?
田中区長 とにかく、信頼の上に組織を運営していくことが大事だと思っています。政治家は「目標を決める」ことが大事です。それが間違っていたら組織全体が誤っていきます。指し示された目標の実現に向かい、さまざまな知恵を出しあいながら組織が動いていく。そのためには区民の声に加え職員の声と議論が必要です。
——以前から話を伺っていて「政治家としての判断」「政治家的判断」という区長の言葉が印象的ですが。
田中区長 とにかく政治家は目標を定めることが大事です。そこに到達するための技術的なことは職員が知恵を出し合えばよいのです。
それから政治家としてのキャリアを積む中で得た政治的な勘や戦略も含め、私は直接自分で判断し、行動して職員に指示しています。そこにこれまでのキャリアが生かされていると思います。「あんさんぶる荻窪と荻窪税務署の用地交換」関連はその一つです。税務署から若い担当者が来ましたが、その際には、「これから消費税増税で国民負担を強いる国税庁が、なぜ自ら率先して簡素化を図らないのか」と厳しく指摘しました。
今抱えている公園の保育所転用問題については、久我山の公園はたしかにいい所ですが、代替地が見つからないため一部を保育所として整備させていただきました。子ども達のためにスペースを必死に探し、現在私も地主に直接お願いして代替地の確保を進めています。下井草の公園についても、私の地元ですからよく知っていますが、その公園に保育所を造るのが駄目というのでは他に候補地は見つからないと思っています。今、公園を利用している方などからは反対が起きますが、検討に検討を重ねて、他に用地がないことから公園に保育所を造るという苦渋の決断をしました。長期最適を追求し判断するのが私の責任であります。暴君とか独裁者とか言われることがありますが、自分の方向性は間違っていないと思っています。
いろいろとお話しましたが、いずれにしても杉並区にとって荻窪のまちづくりは、大切な大きな取組みと理解しています。今回、まちづくり方針として 「荻窪駅周辺まちづくり方針」を中間報告としてまとめましたが、今後、区長としても全力を挙げて臨みたいと思っています。
(平成28年10月)
写真・松葉 襄 撮影または所蔵
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名 称 : 杉並区
本社所在地 : 東京都杉並区阿佐谷南一丁目15番1号
電 話 : 03-3312-2111
代 表 者 : 区長 田中 良
創 業 : 昭和18年7月(東京市は廃止。東京都制施行により東京都杉並区となる。)
次回は、根本特殊化学株式会社 代表取締役会長 根本 郁芳氏です。