コア技術を活かす技術開発型企業として「人と地球のための化学」が私たちのテーマです。

[char no=”3″ char=”松葉編集長3”]根本特殊化学(株)が新しく開発したのは非放射性発光体です。[/char]

根本特殊化学株式会社 代表取締役会長 根本 郁芳氏
 
今年一月、根本特殊化学㈱の会長・ 根本郁芳氏が、杉並区の表彰として最高の「功労賞」を受彰された。国際的にも知られ発展してきた同社だが、一般的にはあまり知られていない。どんな会社なのだろうか?

起業して業界一に、そのきっかけはUボート

——このたびの表彰は、会社の実績の評価も高く、根本会長の努力が実ったということですね。改めて、どんな会社なのか、お聞かせください。
根本 話は大戦中のことになりますが、日本は同盟国であったドイツと技術交換をしまして、向こうから潜水艦のUボートでロケットエンジンの設計図など軍事情報をもってきました。そのなかに夜光塗料があって、先代の社長の根本謙三が目をつけました。軍にとって計器類に夜光塗料を必要としていたわけで、その時に軍に納めたのがきっかけです。戦後になって、その夜光塗料をセイコーの時計文字に使ってうまくいったというわけです。この塗料はラジウムがはいっているので、先代は放射線取扱の免許を国からもらっていましたので、この分野では他をリードしていました。
 仕事として順風満帆でこのままいくかと思いましたが、そうはいかなかった。1954年の第五福竜丸事件です。世の中の放射能に対する拒否反応が一気に高まり、放射性物質のラジウムが使えなくなってしまいました。そうなると、これから、この分野では立ち行かなくなるわけです。そこで放射性物質を使わない発光材料を開発して、当社の主力商品になって、新たな展開へとなりました。
——大きな曲がり角があり、そのほか幾多の苦難の時代の流れの中、うまく適応し、会社を国際的な企業として発展させた根本会長ですが、会社に入ったのは何時ごろですか?
根本 私は労働省にはいったんですが、退職して入社したのが昭和34年、1959年です。先代の親父が自宅の敷地内で研究所を個人でやっていたところに、友人の親父さんの紹介で入社して後を引き継ぐことになるんです。入社5年後の30歳のときに社長を譲られました。
——その時点で、放射性物質(ラジウム)を含まない夜光塗料の開発をしなければということなど、企業として大きな転換期を迎えることになっていましたね。
根本 そうです、すでに放射線障害防止法が施行されていました。そこで新商品の開発と同時に社名を変えての新体制の取り組みとなるんです。社名は当初、根本化学工業でいくつもりだったんです。ところが、先代が「それでは肥料工場に間違えられる」と言い出して。考えてみればそうなんで、頭を悩ませてました。ある日、朝風呂で突然ひらめいたのは、そうだ「特殊」をつけようでした。きっと「意識も変わる」ということで現在の名前になりました。「特殊」という二字を入れただけで、実際にパワーが出ましたね。他所と違うものにしないといけません。朝風呂の智恵です。不思議なもので、先代は本当に立派でした。

脱放射性物質への課題

——先代、謙三氏のころは軍需品として扱い、他に競争相手はなかったのではないでしょうか?
根本 そうでした。戦中ですが、昔は夜光材料を買ってきてその中にラジウムを入れてインキに混ぜ、時計の文字盤に塗ることでした。親父が、アレやれコレやれで任せて、女工さんが30人ばかりでやっていた町工場でした。戦後になってセイコーの文字盤を扱い業界大手として成長。そのうち70年になって初めて工場をもちまして夜光塗料をつくるようになりました。そうなると、せっかくラジウムを持っているんだから、いろいろな所でいろいろと使おうではないかとなりました。その頃には、まがい物も出てきましたので、「ウチのは本物だ」と、ガアガアとガイガー検査機を鳴らして営業したりして、今では、考えられないでしょう。
——そこで、御社オンリーへの道ですね。
根本 夜光塗料の分野では、お客様が放射性物質を使いたくない風潮になってからELという電気を通電すると光るシステムに切り替えたいとの意向が出てきました。当社も既にラジウムから大幅に安全性の高い放射性物質に切り替えていましたが、その先が必要になって。一念発起して、三年で開発したのが、N夜光でした。10倍長い時間で10倍明るく光る、しかも放射性物質を使わない画期的なものです。一晩中光ります。これはわが社の最高のヒットで、91年に日本のノーベル賞と呼ばれている大河内記念技術賞をいただきました。とても名誉なことなんです。
——それは、すごい!ほかにも?
根本 はい。日経新聞が毎年発表する、日経サービス賞の日経製品サービス賞、ニュービジネス大賞など沢山いただきました。これらはオンリーワン技術です。オンリーワンであってオンリーツーではダメなんです。一番にならないと本当のことにはならないです。
——その技術は永遠に?
根本 海外でも研究しているけど、私たちは特許をとりましたから、これ以上のものは出来ないんです。そして特許が切れても、その間に改良しているから、あちらの研究が追いつかないのです。
——そうなんですか。夜光塗料の質のよさは世界的ですね。今は、御社の商品が世界で注目され、大変に売れていると聞きましたが……。

9・11以降に世界が注目

根本 特に9・11以来は、そうなりました。ニューヨーク州が、75フィート以上(7、8階建て程度)以上の建物で不特定多数の人が利用する非常階段には必ず蛍光材料でマーキングして非常口が分かるようにしなければならないということを条例にしました。それで当社の製品がパーッと広がりました。同じ時期にはペンタゴン襲撃があってから、当社の商品を調べてですね……。
 それから日本でも、3・11の後には自治体では、どこに行けば避難場所があるかの標識をつけたいということで当社の標識を求めて、屋内標識の需要から一気に野外のものに使われ始めました。ピクトグラムといって白い部分に遠夜光を使っています。真っ暗であるほど効果的です。屋内でも停電が起きた時とか。地下鉄、トンネルとかですね。 ——トンネル事故というと、スイスの山岳観光鉄道でありましたね。隧道の中で真っ暗で分からなくなってという…。
根本 あれから、サイン案内がものすごく厳しくなって、50メートルおきに看板をつけることになって、ウチから材料を出しています。世界中で売っています。

海外の市場に工場の進出

——海外に需要が広がりマーケットは大きくなると、御社は海外に事務所や工場を次々と作って進出されました。国際化のシフトですね。  
根本 確かに。うちは海外が多く、91年に、まず最初にポルトガルの工場でした。ここが量産工場のはじまりです。世界中に売るための工場でして、海外進出は兼ねてから私たちの中では当然という感じで始めました。技術的に他国の先にいってましたし、海外の市場は大きいので、日本だけでなくというのは成り行きです。世界ナンバーワンを目指していましたから…。 
——いきなりポルトガルとは普通は考えられないのでは?
根本 日本から遠いと思っても地図を見て分かるようにポルトガルとアメリカは近いわけですと、ポルトガルの大臣が日本に来て話してくれて、それで、先ずポルトガルを選びました。人間もガツガツしないタイプで、みんなまじめに働くんですよ。
——スイスにも進出ですね。
根本 スイスでは、時計業界は100%メイドインスイスにしたいんです。そういう話でスイス工業会で作ってくれと言ってきたので、ここではパートナーとの合弁会社をつくって始めました。スイスも法律が厳しく、たとえば景観にしても工場ぽくてはいけないということで、しゃれた建物になっています。その後に、中国の大連に量産工場をつくりました。

中国プラスワンという考え方

——まあ、中国までも。あの国は難しいと聞いてますけど。
根本 中国の商売は本当に難しい。うちの場合は技術を提供し生産を軌道にのせます。資本金を送るでしょう。それで工場を作るわけです。利益が出ればその会社から、うちは配当をもらうようにしています。
——それで、うまくいくわけですね。
根本 中国人は、いいとなると、何でもすぐ真似してパーっと走ってしまう。そして、必要以上にたくさん作って安くして売るんです。そして品質が悪くても安いほうが売れるんです。うちは安さで競争したら儲からないので、それなりに高く売るか、新しい違うものを作って売っていくようにするとかね。設備投資と同時に技術開発に設備投資以上にかけていますから、そうしないとやっていけない。年間売り上げの8%以上の金額をかけています。

——各国の対応、それぞれにですね。 
根本 「中国プラスワン」という言葉がありますね。中国以外に探せということです。とはいえ、中国に需要はあります。中国でやるのなら中国の国内でと切り替えて中国人向けにやればそれなりの消費がありますから。
——マイナス思考になってしまう?
根本 それでも、上海は高級化の流れが強くなってきています。そして年々売り上げが増えてきまして、多少の問題はクリアして売っています。それでも安くってね。そういうことで、私どもは撤退することもあるし、新しくやることもある。中国も少子化の流れの中で、うちと同じ軌跡を歩むようになると思いますが、ともかく中国でもプラスワンを考えていかなければ立ち行かなくなりますね。
——根本特殊化学としては、どういうように、お考えでしょうか。
根本 現在、中国では蛍光体の需要が増えてきたものですから、夜光以外の蛍光体を作るようにしました。たとえば偽造防止用やLED用ですね。
——先行投資として、大きな金額をかけていくのでしょうから。
根本 そうです。深圳の工場は7000坪もあります。それだけではありません、特に海外への進出は向こうの都合を勘案した適切な処理が求められます。タイミングも大きい要件です。中国で言うと、最初80年代は加工の仕事で入って、91年に深圳、94年に上海、95年に大連で蛍光体をつくる工場。90年代には量産する工場が必要になって95年に香港に貿易の会社を作ってやってきました。どれも向こうの条件を見ながらでした。
——他の国もそうでしょうし…。
根本 ヨーロッパでも、96年にオランダのアムステルダム、98年にスイスといった展開です。その延長に直近の話としては、国内にも工場をつくろうと、牛久工場です。もう完成です。
——地球のすべての市場を粛々と押さえていくわけですね?
根本 とにかく売れるものを作らないと、世界中といっても業界のマーケットは小さいと思っています。それだけにグローバルにやるには世界に通用するものをつくっていかなくてはななりません。どこの国にも負けないぐらいのものをね。
 だから、オンリーワンが出来ないとね。うちの基本方針は、安心・安全、それと健康です。夜光は安心、センサーの方は安全、最後の健康の方は薬のお助けをしてしているものです。特殊化、多角化、グローバル化です。

これからは若い人材を

根本 会社は組織力が大切です。組織で動かしていくためには組織をつくらなければなりません。会社に必要なのは、技術開発と生産と営業の三つです。その部署を設けて組織を作り、まず組織力をつけることからはじめました。若い人を登用しました。人は任せないとやりません。絆を大切にすることを親父に教わりましたしね。私は法学部出身で、私は経営者として、技術は信頼する村山副社長。若手社員の提案を生かしてです。
——そこから多角化して、国際化のシフトで現在の様な体制にされました。 根本 そうです。国内で各分野に進出し、また海外でも、ポルトガル、香港、韓国、イギリス、スイス等、合弁事業提携を含み大きく展開してきた経緯があります。

荻窪と深いご縁

——ところで、根本会長は、これまでライオンズクラブ、法人会、商工会議所など数えるにいとまがないほど各関係団体の役職をもって各方面で活躍し、社会貢献をされてますが、荻窪とのご縁が深い人ですね。
根本 そうです。昭和27年に九州の福岡から早稲田大学受験で上京しまして、その発表までの間に光明院近くに住む友人を訪ねたのが荻窪との最初の出会いでした。その人は荻窪高校に行ってましてね。その後、朝日生命の常務の浜田さんの家の近くで、早稲田大学の社会科学部長になった竹下さんと学生時代下宿したのが荻窪、浜田の親父さんの紹介で結婚したのも荻窪。それからずーっと荻窪。会社も荻窪。だから、荻窪が好きで離れられないです。荻窪は、いい町です。文化の香りがしてね。今は移転しましたが、本社は荻窪駅西口前にありましたし。
——皆さん、まだ知らない人が多いと思いますが日印友好の証として建てられたガンジー像。根本さんは日印友好協会会長としてご尽力されました。
根本 あれも難産でしたね。インド独立に尽くしたガンジーとチャンドラ・ボースの像をゆかりのある杉並区内に建てようということになりました。諸般の事情で一つとなり、それでも場所も決まらない。最終予定地とされたのが、読書の森公園でしたが、そこも反対されてダメ。結局、収まったのは、区立中央図書館の敷地内の現在の場所でした。結果としては大変よいところでした。緑に囲まれた静かな環境。ガンジー像と共に碑があり、刻まれた内容がとてもよい。ぜひ、皆さん、行ってみてください。
——創業者の根本謙三氏は、ギリシャやローマ時代の骨董や、日本をはじめ世界の有名人の古文書を蒐集所蔵されたことで知られています。現在は、根本謙三記念館に会社の所蔵としていらっしゃいますね。
根本 親父は、昔から骨董美術に目がなくて、海外に行くと買い求めてきました。専門家に言わせると、どれも価値のあるものでした。私が還暦を迎えたとき思ったのは、会社でも自分の利益追求だけでなく、自分が出来る地元への還元でした。そのひとつとして考えていたのが謙三コレクションのことで、根本謙三記念館の構想でした。家族の理解で実現したいと思いました。歴史と文化はおろそかにしてはいけませんね。(関連記事39頁 )
※記念館は一般には非公開です。

ナンバーワンを目指す

——かなりのお時間をいただきましたが、最後に、すばらしい発展を遂げてきた会社の更なる将来の展望と取組みについてひと言お聞かせください。
根本 夜光塗料に始まった会社ですが現在その技術を発展させ蛍光体製造技術、塗装・印刷技術、放射線取扱い技術を展開しています.そうしたコア技術を活かす技術開発型企業として、今後ともあり続けます。セーフティ、セキュリティ、ヘルスの各分野でナンバーワンを目指し続けていきたいと思い事業に取り組んできました。
 根本特殊化学㈱は、事業を広げ、蛍光体を扱う機能性メッキなどを行う㈱ネモト・ルミマテリアル、センサーを扱う㈱ネモト・センサエンジニアリング、医薬品開発のための研究支援を業務とする㈱ネモト・サイエンス、機能性メッキなどを行う㈱ネモト・プレシジョンなどの国内グループ会社と、海外グループ会社共々、コア技術を活かす技術開発型企業として展開してきました。
「明日を招きよせるために、何を今日やるのか」の、P・F・ドラッカーの言葉を大切に、着実に、ひとつひとつ、コツコツと、やってきましたが、私は、いい年になってきた今、「選択と集中」という事を考えます。儲からないものはやめよう。創業当時やっていた文字盤をつくっていた機械は3月には全部整理して新しい製薬関連の仕事に移行します。30年と同じ事業は続かないですよ。これからは若い人に託します。
(平成29年1月)
写真・松葉 襄 撮影または所蔵


名   称 : 根本特殊化学株式会社
本社所在地 : 東京都杉並区高井戸東4-10-9
電   話 : 03-3333-2711
代 表 者 : 代表取締役会長 根本 郁芳
創   業 : 昭和16年12月



次回荻窪の経済人(5)は、株式会社 興建 社代表取締役会長 水島 隆年氏です。