人・街・未来へ な生活環境の創造に貢献する

松葉編集長松葉編集長

(株)小泉が扱っているのは住宅設備です。。

株式会社 小泉 代表取締役会長 長坂紘司 氏

昨年、株式会社小泉は創業70周年を迎えた。この間に住宅設備機器の総合商社として業界で名を知られ不動の位置を築いてきた。個人商店を先代が法人化し、荻窪を拠点に、しっかり地に足をつけた経営で育て、二代目の長坂紘司氏が幾多の不況を乗り越えて、業界の今の地位を確実なものにした。現在、長坂剛氏に三代目社長を委ねたが、会長として更なる発展を夢見て大活躍。
 これまでの70年の軌跡を振り返っていただいた。

「今日以外に今日はない」先代の言葉を大切に!

——会長室に入ってなぜか気になったのは、飾ってある絵が何か普通と違うものを感じたのですが、絵がお好きなんですか?
長坂 これは、グランマ・モーゼスという有名な画家のものと皆さん間違えていますが、私も間違えてね(笑)。とても似ていたのです。こちらの絵はニューヨークのキャッツキルに在住している、マーサ・レオーネの絵です。気に入って好きで飾っています。マーサはご主人も画家で、20年ほど前に私が、ご夫妻の個展を日本で開催しました。
——ところで、今日は会社のことをお話していただくのですが……。30年以上前に荻窪百点で初代社長の長坂勉氏のインタビューをしまして、そのタイトルは勉氏の言葉からとって「今日以外に今日はない」とつけました。
長坂 それは先代がいつも言っている言葉でした。先代は、戦争中に召集されて兵隊で中国に行きました。終戦でロシアに抑留されて過酷な状況で働かされまして、隣に寝ていた戦友が朝起きたら冷たくなっていたというような体験から、こういう言葉が生まれたのでしょう。今は平和で状況は変わりましたが、当社として、この言葉を大切にしています。
——今の㈱小泉にとって社是とも言える言葉なんでしょうね。そこで会社の歴史の話なのですが……。
長坂 そうですね、㈱小泉は創業70年になりますが、その前に小泉直哉商店という鋼材を扱う商店が明治43年からありまして、山梨県北巨摩郡の地縁血縁の人たちが勤めていました。先代の兄である伯父も勤めていましたが、今の会社のルーツとなります。先代が昭和25年、シベリアから山梨の家に帰ってきて百姓をしていたところ、その頃には、天沼で小泉商店という5、6人の店をやっていたその伯父が、手広く商売をしたいということで、「お前、こっちに出て来い」と呼ばれて上京しました。そこで、伯父は自分で東芝のポンプの全国販売を御徒町で始め、全国に支店をつくりました。ところが、うまくいかずに、荻窪が基盤なので戻ってきました。タウンセブンがまだ新興マーケットの頃でしたが、入口に漢珍亭というラーメン屋があったところで、協和不動産をはじめましてね。現在の本社のあるところは、昔は天沼だったんですが、先代はここで小泉商店を大きくしていきました。先代と伯父との軋轢は常にありましたが、先代と伯父も亡くなった後、両家で話がまとまり、現在はお互いに理解しあって解決しました。70年の長い歴史の間には、いろいろなことがありましたね。

バブル崩壊の波を越えて

——荻窪をルーツに大きな波を乗り越え、現在がある。会社の長い歴史のうちでは、個人商店を法人化し、会社として大きく発展させた先代の長坂勉社長、また㈱小泉になって70年から見るとさらに発展させた長坂紘司会長。いずれも、いわば中興の祖と言えるのでは。事を発展させるのに中興の祖による大きな力で発展すると歴史的には言われますよね。これまでもバブルがはじけて消えていく企業がある中、時代の変化に即応し、次々と新しい営業政策で時代の流れに乗っていく。
長坂 そうです。そういうことは言えますね。私どもの会社がこれまでになったのには組織がちょっと他と大きく違うところでしょうか。先代が当初から子会社制度をとってきたことが特徴で、これがよかったのだと思います。子会社が関東一円に9つあって、その他に関連会社が4つほどあります。それがバブルの時に一つひとつの対応で小回りが利いて大きな波をかぶらなかったことにもつながっています。その経営方針として、子会社で儲けたものは当然本社に関連費は払いますが、それ以外は全部、ボーナスとして社員に出す、つまり決算賞与を出す方針としていました。その他に、5年に一度、社員海外旅行を行います。当時は、海外旅行は珍しかったので大好評でしたね。今年はちょうど節目の年で、旅行先をハワイとグアムにして現在実行中です。

伝統の社員旅行で社員のやる気が大きな力に

——そんなご褒美は喜ばれたでしょう。社員もやる気を起こしますね。
長坂 当社は、前号に出た興建社の水島さんのところと歴史は同じくらいなんですよ。夜遅くまで仕事をしていて、どちらが長くまでやっているか競争してがんばったものです。 社員旅行はずっとしています。今回は社員の家族も含めて約3000人の参加で、3月後半から10月くらいまで月に平均して6班ずつで行っています。これは、伝統として大切にしていて、やめられません。
——「いずみ会」が大きな力になったんでしょうね。
長坂 子会社や営業所ごとに全国で65の「いずみ会」があって大きな組織をつくって機能しています。1カ所の参加人員が60から80人ほどで、その役員会を年に一回、約400人で総会を行ってますが4月21日から9月20日まで開催しているサマーセールの決起大会という感じです。
——相当、大きなイベントですね。
長坂 そうです。これは会社で一番大きな行事になっています。この成績によってお客様を国内外に優待するのです。昨年は、約60人をキューバにお連れしました。それ以外はハワイで300人、その他は上海でした。昨年の70周年では国内優待を横浜でしました。ホテルベイ東急とコンチネンタルとロイヤルパークを一部借り切って、一日約2000名ずつ招待しました。国際大ホールで郷ひろみのショーを2日間やりましたが、皆さんにすごく喜んでいただきました。
——そうでしょうね。すごいパワーです。単なるお遊びではない会社の力ですね。
長坂 これが伝統です。お蔭様で昨年の70周年記念のサマーセールは大成功でした。このセールは私ども50回やっていますが、その都度チャリティーをして、最近では東北の3・11とか熊本の被災した地域や県に400万円から500万円を寄付しています。総計で大きな数字になっています。
——そういう事は一般的に知られていない事ですね。ところで子会社というと、どんな会社がありますか。
長坂 特殊専門業界でない例とすれば、いずみテクノス㈱があります。ここはビル、マンションの給・排水管更正工事をする会社で、新技術「リノベライナー工法」を使って業績を伸ばしました。この技術を25年ぐらい前に開発した人がいて、私のところでやらないかと話を持ってきました。当時、次々とビルが老朽化していくなかで大きな問題がありました。昔のマンションはパイプが埋め込まれていましたから、取り替えるのが大変なので外付けにしていく大工事だったのです。当社の工法は、老朽化した所をそのままにして口径がほぼ変わらない新しいパイプを入れるという方法なので低コストでしかもスピーディ。本当に喜ばれましたね。それで従来は給水だけでしたが、今では排水までやっています。
——新開発が生かされて……ですね。
長坂 他には㈱リフォームプラザ小泉があります。皆様に親しまれている業種で、当社の得意とする専門部門を活かし、住宅リフォームの夢を形にする会社です。一級、二級建築士を中心とした高い知識と経験を備えた専門スタッフがご相談からプランニング、設計、施工、アフターメンテナンスまで一貫したサポートシステムで対応します。大変好評で当社として大いに期待するところです。他の子会社も、それぞれにがんばってます。それから今、業績がいいのは、当社のオリジナルのユニットバスです。自然石とタイルでできていて、現在ホテル建設が盛んですが、その中でもハイクラスのホテルでご利用いただいています。

国際交流にも力を注いで日韓共作の映画づくり

長坂 6年ほど前に、当社で映画を作りました。これは昔、柳宗悦の文芸運動に共鳴して、朝鮮に渡った林業の技師の話です。私と同郷の山梨の青年ですが、朝鮮は当時、山は丸坊主でしたから、それを林にしようということです。その人は朝鮮語を一生懸命に勉強し現地の人たちに大きな態度をとらず同じ目線でものを見て心を通じ、お互いに理解しあった浅川巧という人です。当時、朝鮮は日本の植民地で日本人は威張っていて、そんな人はいなかった。対日冷視の中、その人の墓がソウル郊外のマウリの丘の日本に対抗した人たちの墓所の中に一つ朝鮮の人が墓を作って守ってくれていました。
——そういう人を、よく見つけて…。
長坂 戦後そういうことがわかって、そんな事からよく調べてみたら、日本で民芸運動をして民芸品を集めたものを東京の文京区で展示していました。白磁だとか日常で使うお膳、遺品もあり、朝鮮民族の日常に使っているものの美しさを日本に紹介した人でもあったのです。その映画の製作委員会の会長を私がやって、文化庁や山梨県からも資金を出してもらって製作しました。韓国が初めて日本の映画に資金を出してくれた作品でした。
——その人も会長も、日韓両国の架け橋ですね。
長坂 日本ではロードショーをやったのですが、韓国では全然宣伝ができず、製作費は日本で何とか出たのですが利益はとても……で、われわれの公益事業としてやった特筆すべきことなのかな。そういえば、もう一つバカな事をやってるんです。ニューヨークにゴルフ場を持っています。

ニューヨークのゴルフ場で

——ゴルフ場も?何がきっかけだったんですか?
長坂 先代が私を海外に行かせようと種をまいて、それを私に任せるということで、130年前のゴルフ場を買いました。当時の建物はダメですから、13年前に全部建替えました。土地の広さだけは300万坪もあります。この地域はマンハッタンの水がめというところで、何をするにも非常に環境に対して厳しく、今後はゴルフ場開発ができない地域になっています。そのゴルフ場の専属プロは戦後すぐマスターズで優勝したハーマン・カイザーの息子のハーマン・カイザー二世で、現在、活躍しています。東部地域で約800ゴルフ場がありますが、その中でここは18位にランキングされています。
——すごいですね。
長坂 ここはキャッツキルという地名ですが、周囲に川がいろいろあって魚釣りのメッカでもあります。上流に行くとロックフェラー家の経営するフライフィッシングの学校もあり、釣りが有名な地域です。近くには皆さんご存知のウエストポイント士官学校もあり、アメリカの非常に歴史のある地域です。
——よく分からないけど、すごいところのようですね。
長坂 六年前ですが、ハリケーンの被災で川沿いの住宅が全部やられまして、支援のため州兵が来たんです。ところが宿泊場所がない。私は3日目に行ったら水でゴルフ場はダメ。80キロぐらい遠回りしてどうにかクラブハウスに辿り着いたという状況でした。クラブハウスは山の上に移してあったので助かって、それで、そこを州兵に貸してくれというのです。いくらでも請求してもいいといわれましたが、この際、地域貢献しようと彼らの宿泊料を無料にしました。
——まさに地域貢献ですね。
長坂 水の勢いはすごいですね。カート道など全てやられて、芝生だけは残ったけど一面に小石が……。村の人に来てもらって人海戦術で除去しました。時給を払って何百人かでやりました。それから地元の人とのつながりができて、ロータリーの例会場となりました。
——災い転じて、ですね。

ニカラグア友好協会会長に

長坂 今日もこの後、ニカラグアの大使に会います。私はニカラグア友好協会の会長を15〜16年仰せつかっています。ニカラグアは昔、民主戦線と共産戦線の内戦がありまして、アメリカの支援する民主戦線が勝って、当時チャモロさんという女性が大統領になって来日しました。参議院議長だった土屋さんが面倒を見ていて、「長坂君、友好協会を作るので君が会長になってくれ」ということで先代が会長を7〜8年引き受けて、それを私が引き継いだ形です。人口は約600万人。産業はないですが、とてもいいコーヒーができるのです。ルミネのスタンドコーヒーにニカラグアコーヒーはあります。今の話題は、ニカラグア湖という大きな湖を利用してパナマ運河よりも大きい運河を作ろうとしています。
——そんな国際関係もあったのですね。いろいろ国際交流には貢献ですね。
長坂 私も社長を退任したから何かこの機会にやろうと思って、この3月につくったのが長坂国際奨学金制度です。東南アジアからの留学生へ月5万円の援助をして勉学に励んでもらおうと思ってね。この12月には公益財団になるはずですが。将来はどんどん東南アジアに広げていこうと思っています。その事から言えば、当社は外国人の社員が多いです。といってもアジアですが、韓国人、中国人とも10名前後、ベトナム人も何名かいます。そのあたりも当社の特徴かなぁ。最近では中国に大きな工場を作りましてね。

これからのビジネスは国際的な視野が必要

——日本の企業の進出に対して難しいことはなかったですか?
長坂 そういうことはないですね。私どもは中国のパートナー企業とがっちり手を組んでいるし、中国に日本から工作機械を持っていって、売るというより、ロボットとか圧力容器、ITスキャナーのドラムなど、注文を受けて向こうでつくったものを日本に持ってくるとか、ヨーロッパへ持っていくかですから問題はないです。海外では、ベトナムにパブリケーターという鉄を加工する会社があるのですが、24%出資しまして、そこがかなり大きくなって注目されています。今度そこが同じ工場をつくるというので、私どもが40%出資することになっています。
——次々といろいろありますね。ところで会長には、ビジネスだけでなく結構、ロマンを感じますね(笑)。
長坂 そうかもしれません。冒険小説が好きで、海外ではフレデリック・フォーサイスやジョン・ル・カレなどが好きです。日本では、今の年代では当然といえますが、池波正太郎や藤沢周平、司馬遼太郎を好んで読んでいます。近頃では、船戸与一の「満州国演義」という長編小説を愛読しています。これは戦前の日本人の青年の生き方を書いていて非常に面白い。満州国に行った官僚の家に生まれた三兄弟。長男は国務院(外交官)、次男がラッパという馬賊のまとめ役に、三男はジャーナリストと、それぞれに生きていくストーリーですが、私は馬賊が一番好きです(笑)。戦前の日本人の行動範囲の広さには胸躍らされるものがありますね。
——やっぱりロマンチストでした(笑)。若さの秘訣ですね。
長坂 そうであればいいのですが、私は身体からみれば、怪我だらけの満身創痍です。大学2年の時に交通事故で3ヵ月は動けなかったし、60歳を過ぎてからは落馬して骨盤を二つに割ってなど、足はぐちゃぐちゃ、体中怪我だらけです。そんな大怪我をしたようには見えない、と皆さんには言われますが(笑)。ゴルフだけは頻繁に行って続けています。

創立70周年を経て新しい分野にも

——御社は創業70周年。これを機に長坂剛氏が社長として若い力を発揮し更なる発展が期待できますね。
長坂 息子は、荻窪法人会の青年部会でいろいろやっているようですが、もう46歳ですから……。みずほ銀行に4年ばかりいて、当社にきて十何年ですから、ちょうどいい頃合なんです。私も74歳になりました。それで、息子が新しく取り組んでいるのがシンガポール鶏飯です。シンガポールで非常に有名なチキンライスの店があるのですが、そのフランチャイズを展開しようとしています。銀座名鉄ビル(現EXITMELSA)の七階と中野のセントラルパークにも出して、これからもいくつか出していくでしょう。
——新しい分野にも目を向けて…。
長坂 そうです。本業は一番大事なものではありますが、本業以外にも枝葉を出しておかないとなりません。中には失敗することがありますが、その中でいくつか残ればいいと思っています。ここ10年で非常に調子がいいのは住宅設備機器のコンビニです。会社の事業部としてプロストック事業部が伸びています。プロ職人向けの店舗販売の展開で、それまでの配達の発想を変えて、お客様の利便性を第一に考えて常時1万3000点の品揃えで商品を販売しています。首都圏、宮城県と展開し、今後もシェアを拡大し次々と出店を予定しています。社員4人にアルバイトでひと月8000万円になることもあります。現状では、本業と比べると収益性が高く、投資効率も非常に良いです。本業で蓄えた力を新しい販売網で有効に使いたいと思っています。仕事は続けていけば成功します。途中で諦めればおしまいですけどね。

若い力に期待しつつ、社員の幸せのために元気な姿を

——必ず、何かしらチャンスがあるということですね。
長坂 当社の場合、そのための社員教育ができていなかった。社員には自身のアイディアがあればどこへ行っても仕事ができる、チャンスがあると言ってますがね。
——そうでしょうね。
長坂 いろいろ考えてみると、会社の車が全部で1400台ほどありますが、全てにドライブレコーダーをつけています。走り方一つとっても会社の姿勢が分かるものです。新入社員研修はこれまで一週間ぐらい実施していましたが、3年前からはほぼ1ヵ月、研修所に缶詰で徹底して行っています。
——研修は、会社の大きな力になっていくでしょうから。
長坂 会社には約2200人の社員がいますが、一人ひとりの幸せを常々考えています。例えば、毎年新年には東京エリアで約800名の社員を集めて新年会を開催していますが、いつもとは見違えるほどお洒落をしている社員の晴れやかな姿を見ていると、社員が正装して集える盛大な会ができるような環境を維持していかなければいけないと改めて思います。もう会長になったから、そんなに動かなくていいのでしょうが、やっぱり社員がいますから、社員のためにも会長は元気に夢を持ってやっているなというところを見せたいです。やっぱり時代に合った稼げる会社をつくっていかないといけないと思いますね。尽きませんね。
           (平成29年5月)
写真・松葉 襄 撮影または所蔵
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名   称 : 株式会社 小泉
本社所在地 : 東京都杉並区荻窪4-32-5
電   話 : 03-3393-2511
代 表 者 : 代表取締役社長 長坂 剛
創   業 : 明治43年8月



次回荻窪の経済人(7)は、株式会社 井口鉱油 社代表取締役会長 井口 一与氏です。