荻窪百点 313号 表紙に寄せて

[char no=3 char=”松葉編集長”]荻窪検定初級・練習問題の答えは、「災害総合援助協定」です。[/char]

「忍野富士」を撮る
本当の銀世界がそこにあった

「冬富士を撮りに行かないか」と、写真仲間に誘われたことがあった。仲間といっても年齢も経験もみな大先輩で、中でも際立っていたのが魚耕初代の細田増太郎さん。大判の最高級カメラのブロニカと出たばかりのペンタックスの大判を携えて現れた。
行った先は、忍野村。富士山を撮っては日本一といわれた岡田紅陽のすすめで、廃屋の農家を荻窪の料亭割烹小林の女将が買い取って、当時流行の民宿に仕立てた所で一泊した。開業第一号の客グループとなった。
早々に就寝。起こされたのが夜中の三時。真っ暗闇の雪道をそれぞれに思い思いの撮影スポットへ向かったのだが、私はどうすればよいか戸惑うばかり。帰京して出来栄えを披露しあっつたが、皆さんの作品は、皆すばらしい出来。その中で私のというと、ご想像の通りの惨憺たるもの。
その後数十年、富士は、世界遺産となって、その美しさは世界のものとなった。諸外国からの登山者がぐっと増えたが撮影者も増えた。皆さん撮影ポイント探しに余念がない。その中て忍野村から望む富士は幾つもの撮影ポイントを有し、どれもすばらしく飽くことを知らない。、
今回、第26回を迎えた「冨士忍野グランプリフォトコンテスト」の応募の撮影地の対象地域を忍野村のみ殻損害へと広げた。これにより冨士の四季の美しさの表現は更に広がり、その楽しみも広がった。
 ちなみに、忍野村は杉並区と災害総合援助協定を結んでいる自治体。 
写真提供・忍野村、文・松葉襄