荻窪百点・320号表紙

[char no=3 char=”松葉編集長”]荻窪検定初級・練習問題の答えは、「井草の森公園」です。[/char]

都内で初!—井草の森公園—
公道にて自動運転の実証実験

 よく見るとアンテナを装着しているとはいえ、普通の車が公園に沿った道を走る。それだけなら何の変哲もない写真であるが、実は、この車と公園の両者には大変な共通点のご縁がある。それは「日本技術の最先端」というキーワードだ。
 この日、東京都内で初!という公道での自動運転の実証実験を行うとあって、会場の井草の森公園に取材の新聞、テレビのマスコミが大勢押しかけた。システムの説明の後に田中杉並区長の試乗、そしてわれわれ報道陣の試乗となるのだが、私は一人、先ず表紙写真にしたいスポット選びをした。この公園と一目で分かるバックで走行する車を撮るためである。
 親子で楽しめるこの公園は、以前「杉並のエゴ」から東京ゴミ戦争となり、結果、高井戸にゴミ処理工場、この公園の一角に杉並ゴミ中継所が作られた。それを知る人は多いが、ここが、日本の「最先端機械技術」を研究する所であったことは遠い記憶となってしまった。
 昭和12年、国産機械が外国製品に比べて材質が悪く、精密度が劣り、耐久力のないことに政府は、改善、発展を目指してこの地に機械試験所を設立する。戦争中は飛行機のエンジンを作る工作機械を、戦後には農業機械や炭鉱機械などの開発で、食糧増産や産業界の復興に寄与する。昭和46年には「通産省機械技術研究所」と改称し、新しい技術開発、試験研究の指導、製品や機械の審査を行うようになった。その結果は「メイドインJAPAN」が世界に認められ、あらゆる分野で外貨を獲得、経済大国日本の原動力となった。 
 その後、工業ロボットなど工場無人化の最先端技術の開発に取り組んでいたが、昭和55年に筑波学園都市へ移転。3万9500㎡の広大な跡地は公園になった。ここは、まさに日本の最先端技術をリードした所だった。
 今回、ここで自動運転の初公開とは!最先端技術のご縁を思う。(関連記事46頁)
    写真・文 松葉 襄