自社を発展させながら
地域社会に貢献する

はじめは運送業から
スタートして
——最近の会社のネーミングは、アルファベットの頭文字をとってつけるところが多いですね。お宅のもまさに最先端の名前で、ジーエスケイとありますが、失礼ですが、何の略でどういう会社かわからないですが、どういう会社なんですか?
五十嵐 そうかもしれませんね。うちの名称は、グリーンスタッフという派遣の会社のGとS、それと合併した光栄という物流の会社のKの頭文字をとってつけたものです。今は人材派遣の会社です。実は、うちの会社の前身は井口輸送株式会社でして、つまり運送会社なんです。荻窪百点の前のインタビューでの井口一与さんもそうですが井口一族で、この土地では古く昔は、といっても昭和18年ですが、馬車をつかって始めたんですね。
——たしかに昔は使役に馬が使われましたね。それが、戦争中、戦後でも運搬に牛が使われるようになりましたね。それは、馬は軍馬に徴用されたからですね。戦後は、もっぱら朝鮮牛という赤牛をよく見かけました。
五十嵐 会社創業の頃は、自動車はまだまだで、運ぶことは荷馬車に頼っていました。それでも会社創業当時の荻窪には、チンチン電車といわれた都電が走っていましたが…。
——そうでしょうね。
五十嵐 その頃の荻窪の運送屋は、三(さん)井口と言われましてね。井口運送、井草運送、井荻運送とありましてね、皆さん盛んでした。同じ親戚同士ですね。いまは、井草運送さんは辞めちゃいましたけどね。井荻運送は、井口哲次郎さんが今でもやっています。いま90歳ぐらいでしょうか。
——哲次郎さんは、お元気ですね。ライフル射撃の元選手でオリンピックにも出た方ですね。以前。荻窪百点で取材しました。
五十嵐 まあ、そういうわけでして、現在、運送業の方は、大中小の車を300台以上持っていてやっています。
人材派遣の原点は、
思わぬところから始まった
——今回のインタビューをお願いしたジーエスケイのルーツというわけですね。それで会社を始められたのには、何か特別なきっかけがあって…?
五十嵐 そうです。最初は、私ともう一人いたんですが、出版社の旺文社に、私が御用聞きがてら配達に行った時でした。
——何の御用ききですか?
五十嵐 当時、旺文社は大学入試の模擬試験を各大学などで行っていまして、そこに問題答案用紙を届け次の予定を聞いていたんです。そこで、「おっ、いいところに来た!」と担当者に言われましてね、びっくりしました。何故かといいますと、当時、労働組合ができて取次ぎの東販が75万人のストライキに入っていたんですね。それで倉庫からの配達がストップしてしまったというんです。ちょうどそのときで困っていたんですね。人集めをしてくれというわけです。そこで、人を何人集めたらいいんですかと聞いたら、100人ぐらいいるというんです。それで私は、早稲田、東京女子大ほか、あちこちにあたって、100人を集めたんです。
——すごいですね。運搬要員ですか?
五十嵐 それと倉庫の中で作業する人とかもです。みんな未経験者でしたので、向こうからは管理職の方が来て指示を出したりして何とかいきました。この時、短時間で人を集めたのが認められまして、それからは旺文社の専用会社になったんです。
——タイミングと、若さのパワーですね。
五十嵐 それが、人材派遣業の仕事の始まりなんです。当時は旺文社だけで7500万円の月間の取引がありました。
——すごいですね。
五十嵐 それでも、会社を立ち上げた以上は旺文社だけでは持たないだろうと思いました。継続させなくてはいけないと思ったので、そこで人材派遣業の資格をとって、講談社や主婦の友社などを紹介してもらいました。業務の代行ですね。それがベンチャービジネスとしての始まりで、昭和42〜3年頃でした。当時、会社は靖国通りにありましてね。
——そうでしたか?それまでの運送業だけだったのを業務を拡大できたのですね。
五十嵐 そうです。運送ですので、倉庫はなくてすむので、車だけを所有して走らせていたんです。
運送業もセブンイレブンの
発展とともに順調に
——それで順調に…。
五十嵐 そうなるところですが、それなりに、いろいろ問題は出てくるものですね。ちょうどその頃、セブンイレブンがあちこち店舗を立ち上げていた頃です。各店舗さんがケース単位じゃなくて、これを3個持って来いとか、5個持って来いとか、そういう時代だったものですから、注文を統一してもらって、うちの方で流通センターを作ろうじゃないかと計画を立てて、営業に行ったんです。
——新しいビジネスに、またアタックですね。
五十嵐 そうです。私はもともとイトーヨーカドーの出身でして、そういう提案をしたら皆さんは飛びついてきまして、「それじゃあやりましょう」ということになった。それで、川口に300〜400坪の物流センターを作ったんです。
——また、すごいことに手をつけましたね(笑)。
五十嵐 コンピューターも当時の東芝のトスバックをいれましてね。それが井口運送の発展する第一歩にもなったんです。
——そこからが面白くなる?
五十嵐 ところが、6か月でパンクなんです。
——また、どうして?
五十嵐 建物が小さくてね。配送の対応ができないんです。要するに、こちらも無頓着だったんですが、向こうもね。こっちは出店計画を聞いていなかったこともあったけれど、セブンイレブンも1か月たつと何十店舗とバンバンと増やしていきましたからね。そこで、これからの対応はどうなるかですよ。そこで出店計画を聞きに行ったんですよ。そうしたら、「そんな機密資料を出せるか!お前たちで判断しろ!」と言われてね。
——そう言われてもね。困るでしょうね。それで?
五十嵐 こっちもわからないと投資できないじゃないかと押問答をやっていたら、そこへイトーヨーカ堂の偉い人が通りかかって、「何やっているんだ?」って事情を聞かれて、これこれしかじかと状況を話したら、即、「パートナーなんだから資料を出しなさい。秘密は守ってもらえばいいんだから」と言ってくれて、それで今度は東川口に1200坪の倉庫(センター)を新設したわけです。
——すごい!
五十嵐 そのおかげでセブンイレブンを1000店舗まで、当時処理できたんです。それがIUCの大きな第一号の仕事となりましたね。これは将来伸びるぞって思っていたら、やはり、その通りになり、すごかったですね。
——それは先見の明ですね。
五十嵐 IUCは、井口ユニオンコーポレーションの略で、これも井口グループの一つです。いまセブンイレブンでは、青森から全部で10ヶ所ぐらいセンターを運営していて、1か所5000坪ありますから5万坪ぐらいですかね。それがIUCの本体ですね。
——大きく飛躍ですね。
失敗は時代を先取りしすぎた?
コンピューター教室
五十嵐 そのほかでは出版社とか、食品業界、信州みそもそうです。いろんなお得意さんがあります。ジーエスケイは旺文社専用の出版社を主体としたものでしたが、最近は、テレビ朝日にも、お世話になっています。
——物流から始まっていろいろな分野に広がっていったんですね…。すべて成功ですね。
五十嵐 そうですけどね、それでも一つ失敗したのがあるんです。これからパソコン時代が来るぞということで、神楽坂の駅の真ん前の、歩いて1分の所に約100坪のビルを借りて、パソコン教室をつくったんです。その時は、ほとんど人が来なくて(笑)。結局それは取り組みが早過ぎちゃったということですね。それに投資し過ぎちゃって(笑)。そういうことです。
——それはいつ頃ですか?
五十嵐 パソコンが流行る前ですよ。私自身、大塚商会にパソコンをやるために半年間、通ったんです。パソコンなんて全然わかりませんでしたから、技術指導を受けにいったんですよ。今は、ITと言っていますが、当時はオフィスコンピューターと言っていた時代です。当時、パソコンはポツポツ出ている感じでしたが、そんなものはコンピューターじゃあないよ、なんてね。ところが、パソコンが出てきたんです。当時は相当高かったですが、15台ぐらい買ってね。でも全然お客さんは来なかったですね(笑)。
今は経営者としての取り組み
以外に社会貢献にも
——そうですか、そんなこともあるんですね。そういった失敗を乗り越えて、今の会社があると思いますが磐石な経営で。今は、社会貢献として、いろいろな役を引き受けられていらっしゃって…。荻窪間税会もその一つですね。
五十嵐 そうですね。間税は国の大きな税収でして、その協力団体として間税会は大きな力になっていると思いますよ。
——「かんぜい」と言うと言葉の上で間税を関税と取り違える人いるでしょう。前には、校正ミスといってきました。取り違える人もいますね。
五十嵐 そうかもしれませんね。税には、所得税や住民税・法人税といった申告者が納税するのが直接税。対して、消費税とか印紙税とかは間接的に税金を納めるので間接税、いわゆる間税です。関税は国境を越えて輸入する貨物に課する税ですからわかりやすいと思います。昔は、消費税がなくて、お酒や宝石、毛皮などの贅沢品には税金がかけられて国の大きな収入になっていましたが、いまは消費税がそれに変わる国の大きな税収になっています。
——近頃は「ふるさと納税」などといった新しい税ができて間税会は協力団体として、そこのところがうまくいくようにですね。
五十嵐 消費税について言えば、以前5%であったものが8%へと上げられましたね。国会で審議されてようやくということで、こんどは、来年には10%ということですけど、国民生活、暮らしにどう影響を及ぼすか難しい問題がありますね。本来は国の方針決定に沿ってうまくいくように働きかけていく間税会です。国として決まればこれに協力する団体だけれど、国の決定があればの話です。
——間税会の立場が微妙といえませんか?
五十嵐 そうともいえますが、これは会だけの話ではありませんですからね。
小学生に税の理解を深めて
もらうために標語を募集
——間税会は、これまでの法人会とは違って個人個人の参加協力で勉強会もして活動もしてきましたね。
五十嵐 そうです。たとえば毎年、「税を考える週間」があります。この時は小学校の児童から税の標語募集をしたりもしています。みなさん上手で驚きます。みなさん、本当にお上手で感心します。この週間の前には杉並納税街頭キャンペーンがあります。昨年は台風で中止になりましたが、毎年「たしかな納税・たしかな社会・わがまち杉並」をキャッチフレーズにして青梅街道をパレードしています。イータ君、タックス・タクちゃん、なみすけ、アース君などのキャラクターも総出の参加でにぎやかにです。
——以前は「税を知る週間」と言ってませんでしたか?
五十嵐 そうです。もう、「税を知る」でもないだろうということかな(笑)。納税者の皆様に「税の意義」や「税の役割」を考えていただきたい意識を高めようと、まあ進化したんですね(笑)。
——恒例として今年もありますね。
五十嵐 そうです。11月11日から17日までの一週間です。e—Tax(国税電子申告・納税システム)、eLTAX(地方税電子申告)、マイナンバー制度のPRもやっています。
——それからクリアファイルを頂いてよく見てますね。
五十嵐 そうです。世界の各国の消費税課税率のクリアファイルを作って配布しています。同じように見えるでしょう。しかし、毎年変わっているんです。日本が、今どのくらいなのか見ていただきたいということですね。
——来年には消費税が上がりますね。その負担には意見があるところ。間税会は一般の人の会員参加も求めて税の理解を深め推進するため活動ですね。
五十嵐 私は入会5年かそこらで荻窪間税会の会長になりましたが、地元の皆さんの意見要望などは、上部団体につないで国の政策に反映させることです。前に行った時、荻窪間税会の会長が、上部団体に出て行ったのは初めてだよと言われましてね(笑)。そのように健全な活動で会を改革をしていきたいですね。
——税への理解ですね。
五十嵐 税の標語は、私が会長になった翌年に、子どもの租税教育の一環として実現しました。それまで荻窪間税会は税の標語のことを全然知らなかったんです。
——そうでしたか。標語は一般的にわかりやすいし、関心ももたれてきましたね。それで会の努力もあってということですね。
五十嵐 国の赤字国債が続いて将来、子ども達にはお世話になるんだから、前向きに取り組んでいこうということですね。それで杉並区の井出教育長に面会を申し込んだらすぐに会ってくれましてね。税の標語を教育に生かしたいんだと。だから協力してくれと。「それだったら、ちょうど、小中学校の校長が集まるから、この時に来て話してくれ、一週間後だというんで、タイミングが良かったんですよ。ただし1分から2分だと。予定が入っているのにそこに割り込ませるんだからと(笑)。それは松葉さんもご存知のように、あれは区会議員の先生方にいろいろお願いして、そこから口をきいてもらわないと、入り込めない。でも、井出教育長はそういうところをすごく理解してくれましてね。租税教育の一環だと言ったら、やりましょうと、いうことでやったんです。
——タイミングもよく、よかったですね。税の意識を高めていこうという団体としてよかったですね。
五十嵐 ところで、消費税、印紙税、揮発税、そういういろいろな税を知ってもらって税務行政への理解を深めるような活動をしています。消費税はこれから10%に上がるでしょう?そうすると国の税収は所得税を抜いて第一番になってしまうんです。そういう面では、これから間税会が果たす役割はとても大きいものです。
——期待されているんですね。
五十嵐 昔は、現法人会長の小竹のお父さんの信太郎さんが間税会の会長をやっていたんですよ。その後、引き継いで、ここで会長を次の若い人にバトンタッチしたいですよ。今年は役員改選の年で、私はもう6年もやっていますから、もうそろそろ下ろさせてくださいと言っているんです。
——実は、小竹信太郎さんは荻窪百点の発起人の一人なんです。その消費税ですが、税は国レベルの問題で、間税会として活動はやりにくくないですか?法人会と両輪といいながらも。
五十嵐 やりにくい面もあるけど、それをやりよいように変えていかなければいけないと思いますね。だから、今、だいぶ組織が活性化されて良くなっています。
荻窪に今は恩を返さなきゃと
交通安全協会の会長に
五十嵐 私も荻窪に住んで、50年ですから、恩は恩で返さなくちゃと思っています。それで、交通安全協会の仕事も受けたんです。興建社の水島隆年会長からやってくれよと言われてね、自分はもう10年やったからもういいよと。荻窪の交通安全協会というのは、トップが代わると切ったはったの大騒動になるんです。それが、前回はスムーズにす〜っといって。以前は俺が俺がと、なり手が多くて足の引っ張り合い。今は、なり手がいないのはうまみがないから(笑)かな。
——完全に地域のためのボランティアですけど、その点はね。
五十嵐 昔は駐車違反なんかは切符を切られましたね。それで、もみ消しなんかもあったようですが、今は全くクリーンで、そんなことはありませんが…。
——本来は、そういうものでしょうね。地域のためにという。
五十嵐 公の団体はメリットを求めないのが原則ですよね。はっきりしていますね。
——駐車違反も今はコンピューターで全部管理センターの方へ行っちゃいますから、荻窪署だけでは消せない仕組みになっていますよね。
五十嵐 そうです。切符を切ったとたんに本部にそのまま行っちゃいますからね。取り消すには取り消すだけの理由がないとね。取り消せないです。間違えたら間違えたで大変なんですよ。
——そうでしょうね。
五十嵐 町内の自治会長、町会長こういう方が役員ですから、こういった方にご協力いただかないと、交通安全なんて成り立ちませんしね。井口哲次郎さんは、仕事の関係で警察の防犯協会の会長をやっていらっしゃる。私は交通安全協会の会長ですので、その関係で会って話すことも…。
——皆さんボランティアでもご活躍ですね。
五十嵐 井口さんもそうだけれど仕事で道路を利用させてもらっていましたから、警察行政については協力しているんです。「お前やれ!」って言われて、「そうだね」と(笑)。逃げられないですよ。
——そうでしょうね(笑)。
交通安全も警察だけでなく、
街ぐるみの取り組みが必要
五十嵐 私なんかも、勤労奉仕です。街ぐるみで、子ども達のためとか、まちの安全を守っていくということですね。警察の署員だけではどうしてもできないです。民間の方の協力がないとね。これも車の両輪です。防犯についてもそうじゃないですか?あの井口一与さんがビル防犯の会長をやっていますが、防犯カメラを増やして、今犯罪の抑止力になっているでしょう。
——ところで、会社の将来をどうお考えですか?
五十嵐 そうですね。GSKは人材派遣が中心で、でも売り上げ的には大したことはありません。売上は年間30億ぐらいあるんですかね。だから年間で4千万〜5千万ぐらいの利益ですか。母体は運送業から始めましたが、もともと私は一族じゃないですから。会社は社員の持ち株制度でやっています。ですから実力あるものが社長になる。会社はそういう制度を引いています。何もオーナー筋から後継ぎを出す必要がないんです。これから地域の為に働かせていただきます。
——お話をうかがって、五十嵐さんの機敏な行動力とアイデアと熱意で、会社が発展、継続してきたのがわかりました。これからは荻窪の地域のために、まだまだお力を貸していただけたら荻窪としてはうれしいと思います。荻窪のまちは荻窪の企業の力によって支えられているところが大きいとも言えますね。