ワッショイ!ワッショイ!街を彩る
荻窪白山神社『女みこし』
ワッショイ!ワッショイ!
今年も街を彩る「女みこし」が華やかに渡御する。
もう、すっかり荻窪の街の風物詩として定着している。しかし、40数年前までは、御輿は男の世界とされ、女が御輿を担ぐこと、まして「女みこし」などは、とんでもない事とされていた。
「お祭り大好き一家に育った私は、御輿を担ぎたくてね。女はだめな時代だったでしょう。それが荻窪に嫁にきて思いがかなったの。〝仕舞い御輿〟といって一日が終って神社に納める時に初めて肩を入れさせてもらえてね。子ども用の小さいのだったけれど、それでも大喜びでした。後には、神社神輿に毎年、男衆に混じって肩を入れさせてもらえました。珍しいことだったのよ。白山様は伊邪那美命(イザナミノミコト)、女の神様を祀ってたからできたのかもしれないわね」と、今は町会の上荻親和会会長を務める今村冨美枝(春木家総本店。右下写真)さんは当時を振り返る。
「御輿を女だって担ぎたい」の想いに応え「女みこし」を創設した仕掛け人は、新興マーケット(今のタウンセブン)の鯛焼き屋コバルトの店主、野辺節義さんと、荻窪北口大通りの居酒屋津久波店主、星野末吉さん。
皆さんから「女みこし、やれるの?」と言われながら、二人は、とにかく神社総代会に認めてもらい、担ぎ手獲得に乗り出した。
野辺さんたちが、まず狙いを定めたのは、小料理やバー、喫茶店といった飲食店の女性たち。「口説きましたよ。ずいぶん飲み代を使って…ね」と笑う。「もちろん普通の住人にも声かけして目標は六十人。それと、担ぐときの掛け声も考えましたね。当時の一般的なのは、セェノ、セェノ!だったけど、女みこしは、ワッショイ、ワッショイでいこうとか、格好はさらしを巻いて法被にパッチ、白足袋姿の粋でいこうとかを決め、御輿は神社の子供御輿をお願いしました。街に繰り出した第一回、スタートしたときは感無量だったね。二年かかりました。これでやれるってね。担ぎ手はもちろん、大勢の協力者がいてできたこと。思いがかなって感謝、感謝だったね。荻窪白山神社の氏神様が女の神様だったからよかった。おかげだと思う」と満面笑みを浮かべて語ったのは、野辺節義さん(故人)でした。
世話人の執念と言われる熱の入れように実が結び、女御輿が神社神輿の前を街に繰り出したのは昭和54年。ちょうど国際婦人年の年というタイミングのよさだった。フランス人の女性も担ぎ手に加わり国際色も合わせて、日本に初めての女御輿の誕生だった。
その後、御輿は、子ども御輿から女みこし専用に新しく誂えて渡御している。
現在、女みこし部長は、織茂章則(東信水産)さんが努め、さらに盛大に。
「大手企業、例えば荻窪電話局があったときは大勢の局の人が来てくれてましたが、それが撤退すれば当然、担ぎ手は減るでしょう。などで担ぎ手を集めるのが大変な時がありました。何とか集めようと女性に聞いたんです.わかったことはスタイルが恥ずかしいとかでした。男の感覚ではないんですね。それで今の格好に切り替えてから来てもらえるようなりました。皆さんに喜んでもらえて、よかった」。
表紙写真と文・松葉 襄