特殊な橋梁や鉄道を専門に
少数精鋭で、地道に一歩ずつ…。

昌英塗装工業株式会社
代表取締役社長 加 藤敏行 氏

——ドアーを開けて一歩入るとペンキの香りがしました。やっぱりと思いましたが…。
加藤 あんまり下には置かないんですけどね。(二階から上が事務所)
——そうでしたか?悪い臭いではないから、らしくていいですね。
加藤 うちは環境工事が多いので、ペンキは現場に搬入して現場で使って処理します。たまに余るのがあって、うちに持ってきてるんです。一年たつと、業者にお金を払って廃棄してもらうんです。
——そうなんですか?ペンキ、使えるんでしょう?皆さんに特別セールをするとか…は(笑)
加藤 変なことされると困るから、そうしないんです。製品にはロット番号がついていて、それで、うちの扱いというのが判ってしまうんです。
——??、そういうものなんですか。
加藤 前に一回、高崎で工事をしていて、ペンキを盗まれた事があって。百缶、いや二百缶かです。それで半年ぐらいしてから警察から電話がかかってきて、「おたくのペンキが不当投棄されている」というんです。「大至急来て処分してくれ」ということがあったんです。

先代が大手塗装会社の役員を経て、
昭和42年に創立

東京メトロ 荒川・中川橋梁
——そういことですか。ところで、ペンキというと街のペンキ屋さんを思いますが、社名に工業と付くと大規模なって感じがしますね。社名は最初から工業の付いた名前でした?
加藤 そうです。
——会社ができたきっかけというと、どういうことからですか?
加藤 親父が創業者なんですけど、ある大手の塗装会社の役員でいて、旧大蔵省の内部塗装を一手にやっていたんです。
——すごいですね。そこから独立してですね。
加藤 ただ、業者同士の話し合いがある業界でしたから仲良くね(笑)。
——上手にお互いにですね(笑)。
加藤 そうです。うちの会社は、1967年にできましたが、その頃は、そんな感じでしたね。それで、独立した当時、大蔵省の仕事は、ほとんどうちがやっていました。大蔵省は印刷局で工場をもっているので、かなり塗ることがあるんですね。
——それで、昌英塗装工業という名前は先代が独立することで付けたんですね。
加藤 そうです。親父が独立したときに、一緒についてきた人が英一という名で、うちの親父が昌雄と言うんですが、じゃあ、昌雄の「昌」と英一の「英」をとって昌英にしようということに。そんな感じです(笑)。
——その時から工業は付いてたんですね。
加藤 昔は、塗装工業と付けるのが流行りだったそうで。我々はマンション改修の仕事もやるんですが、そうなった時に塗装工事だけでなく、建築工事も一緒に受けるんです。サッシの交換だとか、物干し台の補修ですとか、そういったのまでも含めて大規模修繕の仕事ですね。塗装工業というと塗装工事だけというイメージになってしまうでしょう?今は、塗装工業は付けない会社が多いですね。
——会社は、この場所(下井草)に前からですか?
加藤 最初は自宅で始めたんです、練馬区ですが。それから親父の知り合いの中野区の野方に事務所を間借りして、それから、ここの土地を買って、自社ビルを建てたということです。

橋梁塗装が専門
サビなくそうをコンセプトに

——話は変わりますが、加藤社長は初めから会社を継ぐということで?
加藤 いや全然(笑)。僕は、中央大学の理工学部を出たんですよ。親父には経済学部にいけと言われていましたが…。できれば学校の先生になりたかったんですね(笑)。
——似合うかもしれませんね。
加藤 そうしたけど、大学を卒業したら人が足りないということで、すぐに会社に入ったんです。やっているうちに面白いかなと思いましたね。僕の専門は鉄の塗装なんですが、それを結構研究して、土木塗装ということですね。
——というと? 
加藤 橋梁関係はですね。建築塗装の外壁と内装に分かれるんですね。外壁塗装は物を守るということで、内部塗装はそれよりも美観ですね。
——そうですか。
加藤 鉄の塗装では、鉄が錆びちゃったらおしまいですから。今、日本にある橋梁は、東京オリンピック前後で建設されていますから耐用年数はだいたい50年ということで、もうそろそろ耐用年数になっています。国土交通省では、そこで考えるんです。取り替えるとか、何かをしなくてはとね。首都高だって建て替えるといっても、そんな土地はない。4〜5年くらい前には、一般塗装系という鉛系の塗装で橋を持たせる、サビなくしようというコンセプトでやっていたんですよ。

塗装防蝕便覧を作り、
黄綬褒章を授章

鋼橋塗装工事の功績が認められ黄綬褒章を受賞
加藤 それが瀬戸大橋ができた頃から重防食塗装系といって、工場で鉄を加工したときに、黒皮というのができるんですよ。鉄を溶かしてものにすると鉄を錆びさせないためにできちゃうものです。しかしそれは、長年経つとその上に塗装ができなくなるんです。それでもその時期は、その上に鉛系のさび止めを塗って錆びない対策をしてたんです。でも瀬戸大橋ができた頃からは、工場で黒皮に砂を吹きかけてブラストで取るという作業をしまして、ホワイトメタルという鉄の姿にして、その上からジンクリッジペイントというのをして、それからフッ素なんかを塗って錆びない対策にしていたんです。
——なんだか、すごい難しい話ですね。
加藤 昔塗った橋は、それをしていないんで、今は、その塗装系をみんなはがしてジンクリッジペイントからまた塗れば橋が持つんじゃないのかという発想に国交省はなったんです。
——そうですか。むずかしいんですね。
加藤 それで、発注者の設計、塗装の仕方を国交省から道路協会通して依頼されまして、われわれが塗装防色便覧というのを作ったんです。それの委員に私は入っていて、それで現代の塗装系があるんですね。そんなことを評価されて黄綬褒章をもらったんです。
——すばらしい賞ですね。
加藤 天皇陛下から頂いて、園遊会に招待もされました。
——赤坂御苑ですか?
加藤 そうです。あれはいい経験でしたね。まず、天皇陛下と皇族がいらっしゃって、あの時は、長嶋茂雄さんですとか、由紀さおりさん、サッカーの沢さんたちが前列に並ぶんです。お話しされてね。我々は、もう二重三重の外ですから(笑)。
名誉ある園遊会にて

——その後は?
加藤 御所の池があって、周りは芝生庭園で、そこに露店が出て、立食で飲み食いして…。県の知事ですとか、いろいろな方が来てましたね。

景気不景気に関係なく、
それなりに安定

夜間の数時間で進める塗装作業
——話を戻しますけど、官関係の仕事ですと、ある程度予算を組んでやっているから、景気不景気関係なく仕事はしっかりとできるということに?
加藤 そうですね。百ある仕事がいくら不景気だからと言って90以下になるということはないんですよ。そういう面で、予算が安定しているという面はありますけど、景気がいい時に、ほかの会社は倍増倍増なんて言いますけど、うちの会社は、そんなふうにいかないんです。
——でも安定して…ね。
加藤 よく言えば、ですけどね。
——その他に、民間の仕事を取っていけばいいんでしょうね?
加藤 民間は、なかなかできないですね。
——どうしてですか?
加藤 今までは、官庁の元受でやっているみたいな業種と、スーパーゼネコンさんの下請けでやっている業者と、一般の戸建てをやっている街のペンキ屋さんの3種類に分かれていたんですが、規制緩和で、これまでのようにはいかないですよ。いま、塗装工事で4億、5億といった仕事が出てきてますが、それには、レベルがあるんで申し込めないというのもありますが、一千万、二千万の仕事なんて誰でも申し込めばできちゃう。入札に参加できるということです。今まではある程度のレベルの会社だけでやってきましたが、今は、ほとんど塗装業界全部を相手にしなくては…。ですから、結構、仕事がとれないですね。
——入札は、必ずしも安いだけでは取れないという事もあるんじゃないですか?
加藤 そうですね。技術面がありますけど、それだけだと取る業者が偏ってしまうということで、国の方もお金の勝負もあるんです(笑)。
塗装作業

——そうですか。
加藤 だから、今、自民党で品格法なんて出ましたが、品格法をみんな守ってやってくれればいいんですが、とれない業者はどうするんだって話になる。じゃあ、お金の勝負をしましょうよという話になってしまいますね。
——そうなってしまいますか。

特殊な技能を生かして
西武鉄道の仕事を

社内での安全会議
——他社との差別化というのは、どういったところですか?
加藤 うちでは、西武系をやってますが、西武さんは民間ですから、だから官庁みたいな高度のジングリッジペイントなんてものを知らない訳ですよ。入っている業者はほとんどが内装屋さんなんで鉄はやってないですね。そこら辺で、ちょっと差を付けているので、そこに発注者の意識が向いてくれればいいんですがね。なかなか、そうは…。民間は安ければ良いということになりますから。その点、官庁は良いものにお金は使うんです。
——そうですか。予算主義だけかと思いましたが、官庁は。
加藤 前まで、鉛系を使っている一般塗装というのは、はっきり言って、1平米あたり3000円ぐらいなんで、1万平米だと3000万円とかね。仕様変更で多少持たせるようにするには1平米あたり1万円超えてね、3倍以上になってしまう。橋を壊して建て替えるよりはいいだろうという意識はあるんでしょうが、やっぱり民間というのは、そこまでの意識はないですね。短期、短期の決算をするわけですから。
——今までの実績で、どういうところが一番印象的なお仕事ですか?
加藤 東京都の一般の塗装は競争が激しくてね。お金の勝負でね。今日も入札があったんですが、一億円ぐらいの物件でも、同札になっちゃうんですよ。計算してね。一億、二億の仕事でも、5円ぐらいの差なんですね。
——厳しいですね。
加藤 1円高かったとか、そんな話ばっかりなんです。それで鉄道関係をやろうということです。なんで鉄道かというと、鉄道は特殊なんで、ある程度の資格がなかったら入れないんです。電車が止まってからでないと作業が出来ない訳で、電気が切れるのが大体1時半として、入るのは4時ちょっと前なんです。だから、2時間しか仕事ができないんですね。

オリンピックに向けて
隅田川の橋はすべて塗り替え

東京都・七枝橋
——素朴な質問なんですが、鉄道とかはいろんな色を使うでしょう?
加藤 大体見て、不快にならないようなものを選びますね。発注者が選ぶんで、我々がじゃなくてね。東京都のこの路線だったらこの色と決まっているんです。一回、北陸の方で仕事をやったことがあって、大学の先生が決めたと言っていましたね。雪に映えるようにという。杉並なんかでも学校なんかの塗装では、奇抜な色は使わないですね。環境条例というのがあるから。
——色そのものには、メーカーによって違うことはないでしょう?
加藤 ペンキの色見本がありますからね。それより素材ですね。以前に塗装工事の火災が2件あって、人が亡くなっているんです。溶剤系で臭うペンキ、シンナーの匂いですね、それが発火したんです。それで今は、水溶性の塗料が出て来ています。やっぱり耐久性というか持ちは多少悪くなりますが、事故よりもいいということですね…。あれはフロンガスが出るので大気汚染を下げるためにもね。東京都は、そういったことは意識が高い。昔から水溶性ですね。多少メンテ、塗り替え期間が短くなっても環境にいいことをするんだということですね。お金があるんですね。
——オリンピックに向けて仕事は多くなっていますか?
加藤 仕事は出ていますよ。隅田川に架かっている橋は全部依頼が出ていますね。
——実際、営業に行かれるんですか?
加藤 昔は営業して仕事をもらっていたんですが、今は電子入札です。営業っていらないんですよ。こういった仕事が発注になりましたというのをインターネットで見て、それで、だれでも申し込めるんです。それで見積もりも1億、2億の物件でも1円、2円の差になってしまう。
——登録業者に関係なくですね?
加藤 そうです。さっきの規制緩和じゃないけど、誰でも登録ができてしまうんです。街の塗装をやっているところは1件やると百万ぐらいなんですが、学校の塗装なんかが出ると、申し込めてしまうんです。仕事が悪くても役所というのはやらせちゃうんです。

首都高の仕事が一番大変だった

都営住宅
——今まで一番大変だったのは、どういう仕事ですか?
加藤 ああ、それかどうか別ですが、うちは以前、永代橋の仕事をやったんですが、都の仕事で終わってから表彰されたりしたんですが、僕も協会の副会長をやっている時で、協会で安全パトロールをやっていたんですが、その時、うちの会社が橋の上に大きくへこんでいるところを見つけてね。車が上に当たるわけがないしね(笑)。これが戦争の時に爆弾が落ちた跡だったんです。その時は、なんだろうと分からなかったんですが、それが面白かったですね。
——協会というのはどういった協会ですか?
加藤 日本橋梁・鋼構造物塗装技術協会です。
——仕事もいろいろで…。
加藤 そうですね、首都高速道路の仕事で2億ぐらいで請けるはずだったんですが、それがね。10カ月ぐらいの工期で、やる気になったんです。ところが途中で、工事がストップになってね。
なんでかというと、羽田に行く1号線の仕事だったんですが、あそこは一番古くて首都高の橋脚に金属疲労で鉄内に亀裂が入っているということがわかったんです。今までせっかく足場を組んでやっていたけど、それを直しちゃおうということになってしまって。それから工期が2年になっちゃって予定が狂って。工期が伸びても延長のお金を見てくれないんですよ。それでも現場の代理人はずっと行っていなくてはならないんです。何千万ぐらいの赤字になってしまって、あれには参りましたね。それから首都高速はやらないことにしたんです(笑)。
多摩都市モノレールの高松駅

杉並区の小学校の外壁工事も

——厳しい条件ですね。そのへんの事も最初から条件のうちに入れてくれないと困りますね。
加藤 特に公共的なことですからね。一時、民主党政権のとき、ある議員さんが百年に一度くるかこないか分からないもののために、堤防を作ったり何か分からないものにお金を使う必要があるのかと言っていましたが、やっぱり気象条件が非常に変わってきているし、対する安全対策をしておかなければならないですね。地震とか災害が起きて、誰が復旧するんだというと、やっぱり建設業なんで、ある程度、育てておかなくては災害が起きたときにどうしようもないですからね。畳屋さんが家を建てるの?建てられない。
——そういう事からも、ふだんから面倒を見ておくことでしょうね。

少数精鋭で、利益を追求

加藤 橋梁だとか昔は、沖縄から青森県まで全国の仕事をしていましたが、競争が激しくて安くないととれないじゃないですか。それで今は、関東中心です。
——それでも、しっかりと主力の仕事があるということですよね。
加藤 どうですかね。うちの決算は11月なんですが、判で押したように毎年決算時期後に、また1円から積み上げなくてはいけませんのでね。1年で売り上げがあればそれだけいいでしょうというのでなくて、だから、売り上げ云々というのは持っていないんです。利益をどれだけとれるか、売り上げ主義より利益主義でしょうね。
——社員も少なく抑えて?
加藤 9人ぐらいで、僕を入れないでね。あとは下請けの会社があって。なるべくうちの工事を専門にして、それで仕事をくれるような所にお願いしているんです。職人を自分のところで抱えるのは結構大変ですからね。
——そうでしょう。効率という問題ですね。
加藤 ずっと平均して仕事がある訳ではないですよ。役所は4月から新年度なんですが、新年度4月、5月なんて言うのは予算配分で動かないんです。6月に仕事が出ても塗装なんてのは、塗装しなくても雨漏りする訳ではないから、優先順位がそんなに高くないんですよね。優先順位高いものから出して、その後ですから塗装は。結構半期に集中するんです。
これまで積み上げてきたことを地道に一つずつ堅実に……です。

人手不足の対策に苦慮

——これから業績を、どんどん伸ばすという他の方法は、どうでしょうか?
加藤 僕は、今までやってきたものの他にやるというのはあまり好きじゃないんですよ(笑)。
——好きな人もいますけどね?
加藤 いますね。アスベストの撤去に走っている業者もいます。それは全部取ってしまえばなくなって、いずれ立ち行かなくなると思うんですが。けれど塗装工事は多分なくならないじゃないですか。だから、僕は、この商売を地道に得意先を一つでも二つでも増やしていければいいなと思うわけで、あまり拡大とかなんとかという事は考えていませんね。今の人数で、もうちょっとキャパはありますから。大きく仕事を増やそうとすれば社員も増やさなくてはいけませんし…ね。
——少数精鋭でいくんですね。
加藤 いや、今は人手不足でなかなか人が来ないですよ(笑)。社員もそうだし、職人も全然、求人は少ないですね。それも職人さんの年齢がもう50、60代になっていますから。このままいけば、5年もたてばこの業界もつぶれちゃう。
——どういった方が、この道に入ってくるんでしょうか?
加藤 その辺を役所の人も、国交省の人も聞きにくる訳ですよ、どうやって人を増やせますか?と。職人というのは、高校を卒業した、中学を卒業して、僕、ペンキ屋やりますなんて人はいないですよ。危険、汚い、臭いでしょう。
——特殊技能で期待されますよね。
加藤 いや…(笑)。今は、そうですねペンキ屋やっている人の友人がアルバイトで手伝っているうちに居着いちゃうというのがほとんどなんですね(笑)。
——資格は?
加藤 あるでしょうが、そんなに難しくはないですね。仕事の内容に関しては、うちの社員が見ていいとか悪いとか、見極めてやってもらうという事です。質を確保する為に、ここまで錆落しをしなさいとか指導をしながらやります。
——現場に行って監督される方は?
加藤 社員は7人ぐらいですね。そろそろ引退を考え始めて…(笑)
——社長はお幾つですか?
加藤 66歳です。

後継者はいるけれど…。
そのタイミングが難しい

ハワイにてゴルフ
——そろそろ、後継者を考えながらですか?
加藤 一応、息子が二人会社に入ったんですが…。そこで会社を早く渡してしまうのがいいのか、ある程度仕切っていてやっていた方がいいのか…。
——どちらを選ぶかですね?
加藤 周りの皆さんの様子も見てね(笑)全部移しちゃうというのはやっぱり難しいですよね。親父は65の時に僕に譲ったんです。それで僕は50歳前に社長になったんです。親父にしてみたら僕のは新しいやり方でしたでしょうね。
——どうしても、そうなるでしょうね。
加藤 親父は、ばりばりで仕事をしたけどね。全権を私に譲って、そこで2〜3年したら結構老いぼれてきちゃって…77歳で亡くなりました。
——そういう経験から考えますね。
加藤 自分をとるのか、息子の将来をとるのかということになりますね。息子もまだ親がいるとね。親が死ななかったら一本立ちできないですよ。いくら会社の全権をまかされても親はお金を持っている訳ですから、親が生きているうちは何かあったら、金の算段をしてくれるだろうという腹づもりがどこかにあるんですよ。僕の場合も、親父が生きているうちは、ちょっと失敗しても親父が金貸してくれるだろうという感じでやっていましたからね。

休日はゴルフ、奥様との海外旅行も

——それにしても、お若く見えますね。何か秘訣は?
加藤 秘訣はないんですが、去年65になったとき、5年単位で物事を考えるようにしたんです。とりあえず70まで、現役でゴルフしたいな(笑)と。70になったら、75まで、元気でゴルフしたいなと(笑)。
——それでは何でもゴルフですね(笑)お好きなんですね、ゴルフ三昧で?
休日は、もっぱらゴルフですか?
加藤 いや、ゴルフと旅行ですよ。
年に1回は海外旅行に行っていますが、今、南米にこってるんです。動けるうちに行ってこようかという。去年は家内とペルーに行ったんです。マチュピチュだとか、チチカカ湖とか。
——南米はブームですよね。
加藤 行ってみたら、写真で見る通りと思いました(笑)。それを見てどうのこうのというんじゃなくて、とりあえず行ってみてマチュピチュなんか感動する訳でもなくて、写真で見る通りなんだなと。アップダウンが結構つらくて、疲れたなと。来年はアルゼンチンに行きたいなと思っています。パタゴニアがあるでしょう?氷河が海に落ちるというのを見てみたいと思っています。
——そういった楽しみはいいですね。とにかく期待するというのは(笑)。
加藤 僕はツアーに入っていくというのが嫌いで、自分で飛行機の切符を手配して、コースの段取りしてね。行くと結構頭使うじゃないですか?言葉なんか何もできないけど、何とかなるもんなんです。そこが面白いんです。

奥様とペルーにてアルパカに触れて

——そうですね
加藤 アンデスのおばさんって、帽子をかぶって長いスカートをはいていて、下にズボンはいてね、民族衣裳でしょう。ペルーに行くとああいった女性があちこちにいるんですよ。バスで途中で休憩で止まってると、そう言う人があっちから歩いてくる。車なんか1時間に1本しか通らない道でね。そういったところが面白いなと思いましたよね。

荻窪の他業種との交流も
面白い!

——荻窪の諸団体とのご縁も?
加藤 はい。荻窪の法人会には入っています。あとは杉並の商工会議所に。
——やっぱり、みなさんとはゴルフ仲間ですか?
加藤 そうですね。このインタビューで紹介された人では小竹会長さん。法人会の会で、僕が副会長ですから。和田さんは商工会議所の今は杉並の会長でしょう。
——そういう方達と?
加藤 そうです。業種が同じだと面白くないですよね。同業者と仲良くても、敵じゃないですか。本音はなかなかお互いに言わないですね。かえって業界と関係のない人の方がいいですね。そういう意味では、僕は一人で行って、ゴルフ場で勝手に組んでくれてそれで回って帰ってくるんです。
——そうですか。
加藤 普段、車に乗っていて歩かないじゃないですか。ゴルフに行くとカートに乗らずに歩くと一万八千歩ぐらい歩くんですよ。それを週に1回ぐらい。医者にも運動しろしろといわれているんでね、やるんです。
——それでも仕事!ですね。今、抱えている大きなお仕事は?
加藤 多摩モノレールですね。西武鉄道もやっていますが、うちのは忙しくなるとみんな夜間工事なんです。鉄道ですからね。僕は寝ていても、問題が起これば、それこそ事故でも起これば連絡が入ってくる。携帯電話は電源を切れなくてね(笑)。一番多かった時は夜間工事だけで5〜6カ所重なってしまうんです。精神的にいやですよね。でも、仕事している方が、もっと嫌でしょうね。たまに社員旅行もやってはいるんですが、社員をどうやって癒そうかと思っています。

写真・文 松葉 襄


名   称 : 昌英塗装工業株式会社
本社所在地 : 東京都杉並区井草1丁目33番12号
電   話 : 03-3395−2511(代表)
代 表 者 : 代表取締役社長 加藤敏行
創   業 : 昭和42年7