善福寺川の大島桜

朝倉さき子
今年の桜は、よく咲いた。そして、随分長い間、散らなかった。  
 善福寺川沿いの桜に限って言えば、一番初めに開花したのは,濃い桃色の河津桜だった。それから、山桜が咲き、八重桜は四月半ばを過ぎて、ぼってりとした花をつけた。寒い日が続いたせいか、開花は例年になく遅かったが、その分、長く咲いてくれたので、平成最後の桜を、心ゆくまで楽しめることができた。
 作家の三島由紀夫は、著書の近代能楽集の中で、「花は待っていない。今年の花は今年きりだ」と、平宗盛(作中では、五十歳ぐらいの大実業家となっている)に語らせている。
 本当に、その通りだと思う。
 去年の桜を、同じ時期に、同じ場所で、私は眺めたが、心は虚ろだった。それは、前年の晩秋、桜の開花を待ち続けた病床の夫を、亡くしていたからだ。
重い気持ちを抱えたまま、白い花びらを付けた桜を見上げていると、通りかかった年配の婦人が、傍らに足を止め、そして、「大島桜ね。大島桜の実は甘いのよ。もう少ししたら、実をつけるから、お食べになってみてね」
 にっこりと、笑って言った。
 その一言に、私の胸の中に鮮やかな花がパァッと開いた。
 今年、相変わらず地味な白い花びらを付けた大島桜を眺めていると、カメラを下げた紳士ガ近づいて来て、私に言った。
「これは、なんという桜ですか、花びらが白いですね」
「大島桜ですよ」
 にっこり笑って、私はこたえた。そして、
「大島桜の実は、甘いんですよ」
と、つけ加えた。


朝倉さき子(エッセイスト)
1943年愛媛県西条市生まれ。1幕の夢(田端書店)、ステップママ(学苑社)等の著作あり。杉並区荻窪在住