常にお客様を大切にする
「東信だからこそ」今、できること
リアル店舗で蓄積したノウハウをネットワークの分野に生かす

東信水産株式会社 代表取締役会長
荻窪タウンセブン株式会社 代表取締役社長
織 茂  章 則 氏
聞き手 松葉 襄


魚屋の日常業務を便利にする
「フィッシュオーダー」

織茂 「前号に出ていたね」、なんて結構、言われましたけど、続いての登場になりますね。
——実は、前号にIT化のお話など載せられないところがあって、是非にということで、よろしくお願いします。
まず、フィッシュオーダーというお話から。
織茂 そうですね。前向きにいろいろとチャレンジということです。たとえば社長(ご子息・織茂信尋氏)たちが開発した「フィッシュオーダー」というシステムですが、魚屋が使いこなせる受発注システムとして、その開発に立ち会いながら独自に開発していきました。仕入れはすべて「フィッシュオーダー」で行い、魚以外でもトレーや備品などお店で使うものはすべて「フィッシュオーダー」から発注しています。これは、取引先にも一緒に導入してもらいながらです。また、魚屋独自の勤怠管理を行う「フィッシュスケジュール」というシステムも一緒に開発しました。自分たちで開発するからこそ、魚屋にとって使いやすい、魚屋らしいシステムを作ることができたのです。
——それは、すごいことですね。
織茂 情報端末としては、今では当たり前になっていますが、まだiPadが普及するかしないかとの狭間だった時です。ノートパソコンにするか、iPadにするかの選択でしたが、迷わずiPadを導入しました。厨房内で使用するときには、パソコンよりもiPadの方が衛生的にも優れていましたから。
——先代の血筋の先見の明ですね(笑)。
織茂 そうかもしれませんね。受発注システムや、勤怠管理システムを導入してiPadが全店に行きわたると、今まで出来ていなかったことがタイムリーに出来るようになりました。使い捨てカメラを全店に配って、回収して、現像して、それを皆に配って…ということが、情報端末であるiPadが全店にあることで、お店の写真がすぐに社員全員で共有できるようになりました。
——それは、革新的でしたね。
織茂 本当に良かったと思いますね。商品とか、お店のディスプレーとか。いい商品やいい店づくりをしている店があると、みんなで写真を共有しています。
——そういう事は、今まで、なかなか出来なかったことでしょうね。
織茂 そうです。さらに衛生面では、お店の写真を撮って、「これ、きれいだな」とか「汚いぞ!」とか注意したりしてね。今では当たり前になっているメールの情報共有もiPadが全店に行きわたったことで、そのころから始まっています。
——そうですね。昔はなかなか出来なかったことですね。
織茂 そうです。30数店舗あると、各自地域にあったものを店長が見る。われわれ従来の人間では考えていないような商品を作るとか、いろんなディスプレーもする。そういうことは口で言ってもわからない。電話でのやり取りや、会議の時まで待って写真で説明していた。iPadの活用でそういったこともなくなりました。

先代の先見の明
時代を感じ取り、新しい魚屋に!

——東信水産という店を地域の人は、どんな目で見てきているかということなんですが、戦後、魚信(うおのぶ)さんと親しみをこめて呼ばれた頃は、個人店の魚屋さんは街のあちこちにありましたね。そうした一商店であった魚信さんが他より抜きん出て成功し、現在があるわけですが。
織茂 先代は、早い時期から多店舗展開を考えていて、かわいい部下や兄弟たちにお店を持たせ一本立ちさせたいと言う思いもありました。自分の魚に対してのセンスに自信がありましたから、荻窪だけでなく、日本中の多くのお客様に自分の美味しい魚を食してもらいたいと本気で思っていましたよ。思うだけじゃなく、行動していました。
——先見だけでなく、実行力ですね。
織茂 百貨店さんたちも、勢いがあり、お客様を主眼に置いた会社に出店してもらいたいので、彼らの目に適ったのでしょう。
——すばらしいことです。
織茂 初代は、スーパーや百貨店に出店することで、彼らの持つ大きなパワーと利便性を共有したんです。その代わりに、魚専門店として、新しいアイディアを次々に提案していったわけです。
——たしかに、お客さんの便利がありますね。当時の話ですけど例えば、新興マーケットは7時に閉めていたので、勤めの人が荻窪まで帰っては買い物ができない。同じ商品が伊勢丹で買える便利も、そうでしょう。
織茂 多店舗化した利点ですね。各地域の個性やテイストは店頭でしっかり強調しますが、商品の鮮度、クオリティー、安全性は、同じです。

食品衛生にも本気で取り組み、
結果的に売り上げにつながった!

——そういう事で、多店舗化の意味がありますね。
織茂 ただ、多店舗展開で問題になってくるのが、安全衛生の問題です。その当時、魚ビジネスに関わる我々は食品衛生の知識に乏しく、「刺身にわさびや酢をたくさんつければ、当たらない」と本気で言っていたものです。
 僕は、東信の社員には、しっかりと食品衛生を勉強させようと思ったんです。そこで、杉並保健所を退官なさった、矢島正男先生に顧問をお願いしました。当時、保健所の人(監視員)が店に来ると、店は営業停止にされるんじゃないか、と恐怖の存在でしたから、社員たちの拒否反応を心配しました。
——ところが、ですか。
織茂 そうです。店長たちを対象にした、矢島先生の最初のレクチャーで、「食中毒は、どうして起こるか分かりますか?」。店長たちはシーン。「腸炎ビブリオと言うものが、悪さをして食中毒になります。この菌をやっつけるのは、どうするか知ってますか?」と言うんで、店長シーン(笑)。「それは、魚も、包丁も、まな板も水道水でよく洗えばいいんだよ」という言葉に、店長たちの衝撃はすさまじいものでした。「え!それで良いの?」文字どおり、目から鱗でした。その当時の鮮魚の食中毒の大半は、腸炎ビブリオによるものでしたからね。
 食中毒には、原因になる菌がいて、その菌をやっつける方法があるんだ、と分かったんです。それからは、乾いたスポンジにわぁーっと水が染み込むように、食品衛生を吸収し始めたんです。
——考えても見なかったことだったので、衝撃も大きかったでしょうね。
織茂 そうです。矢島正男先生が、東信水産に食品衛生の理念をしっかりと植え付けてくれました。現在、腸炎ビブリオで発生する食中毒は、ほとんど無くなりました。
 食品衛生の三原則があって、菌を「つけない」「増やさない」「やっつける」と、つまり7S「整理」「整頓」「清潔」「清掃」「洗浄」「殺菌」「躾」これを、徹底しています。7Sを徹底すると売り上げが上がります。ある大手百貨店と我々テナントが、7Sを徹底したところ、厨房にいる時間が減り、店頭にいる時間が4分増えました、これを単純計算すると、360日(当時の休日5日間)×4分=1440分、1440分÷60分=24時間。1日の法定労働時間は、8時間ですから、3日多く店頭に立てる事になります。それだけ、お客様と接する時間が増えるので、売り上げ伸長に繋がるのです。

国際的な視野も備えた
小売業を

——最近は、外国の人たちを採用しているそうですね。
織茂 社長の発案で、若いベトナム人たちを技能実習生として採用しています。総務人事部には、ネパール人のパンタ君がいます。彼は、ネパールと日本で大学を卒業し、日本語で簿記2級を取得してます。海外の優秀な人材を採用して、ベトナムの技能実習生達のケアを担当しています。
——織茂さんは、留学の経験があって、そういう事が分かるんでしょうね。
織茂 外国に住むストレスと不安は、よく理解しています。もう1年になりますが、荻窪警察署の末廣署長が、進めてくださっている研修会があります。
 それは、弊社のベトナム人技能実習生を3か月に一度、署に招き行われます。どういう内容かというと、日本の交通ルールを始め、生活指導や犯罪に関わる不良外国人の実例、犯罪に巻き込まれないための知識などを指導しています。
——ところで、お店の接客のことですけど、「今日の魚にはこういう料理法が良いですよ」という一言のアドバイスがあって、それが重宝している、とお客さんから聞いたことがあります。
織茂 そういうことでは、社員一人ひとりが、魚料理をアドバイス出来るよう、担当部長たちが指導しています。百貨店では店頭で声を張り上げ「いらっしゃい、いらっしゃい」だけの接客態度は禁止です、丁寧なアドバイスのできる顧客サービスが求められています。

インターナショナルな時代になって

——将来に向かって、一番重視していかなければいけない事は何でしょうか?
織茂 小売業である私たちの店頭は、インターナショナルになって、各国のテイストや習慣を勉強する必要にせまられるでしょう。韓国語や、ロシア語、中国語はマンダリンと広東語ぐらい身に着けるといいかな。若い人たちは大変です。
——時代ですね。
織茂 お互い年寄りで良かったですね。
——一方、アメリカは、ボランティアの国と言われていますが、そういったことは、どう感じますか?
織茂 私が、テキサスのヒューストンに留学していた時、日系人のドクター・ストウというお医者さんの所でお世話になりました。そこは、日本人留学生だけでなく、インド人、香港人、ドイツ人、フランス人、南米人、も出入りしていて、小さな地球のようでした。ドクター・ストウも第2次世界大戦で日系人として、大変ご苦労された様です。ドクター・ストウご夫婦が、ご自分の子供も含めて分け隔てなく私たちをケアしてくれました、自分の両親のように感じました。この暖かさが、ボランティア精神なんだと思いました。そこに集う者たちは、気心も知れて、今でも交流があります。今はみんなリタイアしていますけど(笑)。
——分かりあえて、いいことですね。

地域とともに歩む
女みこしを盛り上げて

——織茂会長も、いろいろなボランティア活動をなさっていますよね。
織茂 日本でも地域貢献が理解されて久しいですが、荻窪の氏神様、白山神社のお神輿のご神幸祭に協力するのも地域の伝統文化を継承するためには、大事なことだと考えています。
——神輿では、担ぎ手を東信水産から大勢出て助かったと言われていますね。
織茂 きっかけは、東京電力さんが担ぎ手をたくさん出してくれていたのが、バブル崩壊で誰も来なくなり、その現状を知って、翌年から、東信の社員を送り込むことにしたんです。築地が終わると、仲買さんたちが、わぁーっとたくさん駆けつけてくれます。
——あの頃、担ぎ手が激減して深刻になった時で、みこしが出せなくて、トラックで渡御したなんて話もあって。大変なことになりました。
織茂 現在では、女みこしも担ぎ手の方たちが100人位は集まってくださるので、有難いです。
——今は、担ぎ手不足の危機を乗り越えてますね。
織茂 荻窪警察署の寮員(寮住まい)の若い警察官さん達も10名以上も担ぎ手として参加してくださいます。本当に有難いことです。
——警察関係では、荻窪警察懇話会でも大変貢献されていますね。
織茂 安全な街−荻窪であればこそ。商売に邁進できますから。何か警察署や消防署のお役に立ちたいと思っています。
——そうでしょう。警察の新年会の行事に武道初式がありますね。その懇親会で、御社が大きなマグロ2本を提供されて。今までになかったことで、すごいですね。
織茂 豊洲の問屋も協力してくれて、お寿司を毎年、感謝のしるしで出しています。これは貢献と言うよりも感謝の気持ちです。

3・11の教訓を生かして
帰宅困難者への対策も

——貢献の形もいろいろですね。
織茂 今取り組み始めたのが、荻窪駅前滞留者対策連絡会です。私はその座長を務めています。
——どういうことなのか、少し詳しくお話しください。
織茂 これは、杉並区役所の危機管理室防災課が、主体となって指導している組織です。3・11のような震災が起こった時、荻窪駅前に行き場のない大勢の帰宅困難者が発生しました。その教訓から、こうした帰宅困難者や、滞留者の混乱やパニックを防止するために荻窪駅周辺の我々が一時滞在施設を提供するサービスです。タウンセブンも一時滞在施設の参加を検討しています。

タウンセブンの将来について

——タウンセブンの社長をされていますが、タウンセブンの将来のお話を頂けますか?
織茂 そうですね。ヒューストンに、ギャラリアと言うショッピングモールがありました。ここの施設の中にはホテルがありますが、さらにスケートリンクがあり、クリニックや、もちろん、映画館、スポーツクラブもあるモールでした。タウンセブンもそういったリニューアルができないものかと思います。また、お年寄りの介護施設やお子さんの保育園があってもいい。朝年老いた父母を連れて行って、そこに預かってもらい、荻窪駅から出勤する。帰りは、迎えに行って、お魚を買って帰る。実現するには、乗り越えなくてはいけない沢山のハザードありますが。
——可能性は、あるでしょうね。
織茂 必要としている方々はたくさんいますし、更に増えるでしょう。僕らもお世話になるね。やろうと思う人がいれば、出来ますよ。
——西口が、もっと開発されますね。杉並区の今の取り組んでいる荻窪のまちづくりも、その辺のことを考えて百年の計でやらないとね。
織茂 そう思います。タウンセブンの若い役員たちの考えにはクリエイティブでワールドワイドなアイディアがあふれているので、楽しみです。
——夢は、広がりますね。
織茂 ただ、緊急を要するのは、タウンセブンにいらしゃれないお年寄りの対応ですね。
——現実に買い物弱者のための出張販売なんかも、考えているんでしょう? デリバリーの問題も出て来ていますが…。
織茂 そうした問題を解決する可能性が一番大きいのは、やはりタウンセブンでしょうね。タウンセブンのイニシアティブをリードする若き経営者たちが、しっかりと近い将来を見つめています。僕自身は、これからは、女房孝行です(笑)。
——夢は大きく、東信水産もタウンセブンも百年の計をもって飛躍されることを期待します。