咳止め(ドンドン)の立葵

朝倉さき子

 桜が散る頃、善福寺川の土手の緑が濃くなる。川の両岸は、いつの頃からかコンクリートで固められているのだが、 いくら固めたっもりでも、草は隙間を見つけて芽を伸ばす。そして、花を咲かせ、種を飛ばす。雑草は逞しい。太古の昔から 、そうやって生き延びてきた。
 その中から、 ひと際高く茎を伸ばして花を付けるのが立葵である。大振りの艶やかな色目ではあるが、わざわざ切り取って花瓶に挿すほどのものでもない。すくっと立っている姿のわりには、どことなく気怠くて、投げやりな花魁のような風情である。夏の夕暮れなどに、ぶらぶら歩きながら眺めるには打ってつけで、 やがて立ち枯れていくのを、 それとな く見届ける程度の花である。
小説「黒い雨」の作家、井伏鱒が太宰治を伴って、善福寺川に釣りに来たことがあるのを知ったのは、著書「荻窪風土記」を読んだからである。
 その昔、二人は、荻窪駅近くの釣り具店でミミズを仕込み、それを餌に何度も竿を振ったがまるで駄目で、結局、 一匹も釣れないままに諦めて引き揚げたそうだ。ただ一度きりのことだったらしいが、昭和の初めに、まだ売れていない小説家とはいえ、昼日中に大の大人が一一人、並んで釣糸を垂れている姿を想像すると可笑しい。井伏さんはともかく、太宰はさぞやボヤいたに違いない。
 太宰が、三十九歳で玉川上水に入水して死んでから、六十八年が経つ。井伏さんは九十五歳まで生きた。二人が釣糸を垂れたと思われる荻外荘の下手の堰止め(ドンドン)辺りで大きな魚影を見かけると、あの時、太宰と井伏さんから巧みに逃れて、土手の洞に潜んでいた魚じゃないかしら、と思ったりする。
 間もなく、立葵が咲き始める。太宰は「富士には月見草がよく似合う」と書いたが、もしこの花に出合っていたら「善福寺川には立葵が、よく似合う」と、書いてくれたかしら。


朝倉さき子(エッセイスト)
1943年愛媛県西条市生まれ。1幕の夢(田端書店)、ステップママ(学苑社)等の著作あり。杉並区荻窪在住