荻窪・花百景
七草模様の掛布団
萩・芒・桔梗・撫子・女郎花・葛・藤袴・これが秋の七草である。
いずれも善福寺川の畔で見つけることができる。可憐な花々だが、七草には、心が翳る思い出がある。
姑は雪国生まれで、21歳の時、東京に嫁いできた。小柄で華奢な体だったが、丈夫で働き者だった。針仕事が得意で、私が夫と再婚した時、姑はもう85歳になっていたが、綿のたっぷり入った掛布団を2組仕立てて、私たちの寝室に積んで置いてくれた。七草が染められた布団生地は、何度も洗い張りを繰り返したらしく、少し草臥れていた。
私たちは、暫く姑の仕立てた掛布団を愛用していたが、間もなく、羽毛布団が出回り初めて、私は、その軽さと温かさに憧れた。姑の手造りの和様布団は、重いうえに柄も時代遅れで、野暮ったく思えた。いつ、どうやって処分したのか覚えていないが、多分、憧れの羽毛布団を手に入れた際、こっそり捨てたのだろう。いつの間にか暮らしの中から姿を消していた。姑は気付いていただろうが、何も言わなかった。可哀想なことをしてしまった、と、姑の歳に近付いた今頃になって、思う。息子が迎える新しい嫁の寝る布団のために、どんな想いで一刺し、一刺し、針を運んでいたのだろう。若いと言うことは残酷なものである。私は四十代の初めだった。
姑は、90を超えても至って元気で、家族の中心で暮らしていたが、94歳になった冬に、庭で植木鉢を持ち上げようとして尻餅を付き、大腿部を骨折した。それから亡くなるまでの4年間を、平穏無事な毎日だったと言えば嘘になる。姑も私も何度も泣いた。最後は、ベッドから庭を眺めるだけになった。1998年6月の早朝、「おばあちゃま、おはよう」お座敷に寝ている姑を起こしに行くと、ベッドの中で亡くなっていた。誰も起こさず、ひとりで逝った。
朝倉さき子 エッセイスト
1943年愛媛県西条市生まれ。一幕の夢(田畑書店)、ステップママ{学苑社}等の著書あり。杉並区荻窪在住。