荻窪で出会った素敵な女性・3
セィヤー! セィヤー! お祭り大好き
夢は2020年・東京五輪の
聖火ランナー

荻窪白山親和会(町会)会長 今村 冨美枝 さん

聞き手 朝倉さき子

荻窪白山親和会(町会)会長 今村冨美枝

朝倉さき子朝倉さき子

東京都内には、明治神宮をはじめとして1460社の神社があり、「荻窪白山神社」もその一つに数えられている。今村冨美枝さんは、その白山神社の宮神輿を、女性で初めて「肩を入れた」人である。(肩を入れる、とは、担ぐという意味だと、この度教わった。)今回は、祭囃子を聴くとワクワクして、今でも神輿を担ぎたくなる、とおっしゃる今村さんにお話を伺った。

実家は中央区・鉄砲洲稲荷神社の
氏子 一家挙げての祭り好き!


――今年の荻窪白山神社の例大祭も無事終わりました。(9月7日~8日)お疲れ様でした。今村さんにとっては、何度目のお祭りだったのでしょう。
今村 私が初めて肩を入れたのが、昭和52・3年ごろだから、何回目になるかしら。
 その時は、まだ女みこしは無かったのよ。だから、宮神輿の担ぎ手は男だけ。私は、どうしても担ぎたくってね、ようやく仕舞い神輿に肩入れさせてもらったの。それも、こども神輿が御神酒所に帰ってきて、神輿庫へ収まるまでのちょっとの間だったけど、嬉しかったわ。それからは毎年、男衆に混じって宮神輿に肩を入れさせてもらいました。御先払いがドーンドーンって太鼓を打つと、お囃子が続いて、その後ろを宮司を乗せたオープンカーが、ゆっくり進むのよ。肩代わり(交代の担ぎ手)や取り巻きを入れると、200人以上になるかしら。威勢が良くってね、まずこれが動き始めるとワクワクするの。
――今村さん、今も肩入れされてるんですか。
今村 今は世話役に回ったから、担いでないの。そうね、60過ぎまでは担いでいたかしら。本音いうとね、今でも担ぎたいの。
――えっ、あの、今お幾つでしたっけ?(失礼は承知の上です)
今村 もう立派な後期高齢者よ。(笑)でも、担げると思うわ。て言うのはね、私は小柄だから、男衆に混じって担ぎ棒にぶら下がっているだけなの、アハハ。
――はぁ! 今村さん、お生まれはどちらですか。
今村 私の実家は、東京中央区なの。湊にある鉄砲洲稲荷神社の氏子でね、両親、きょうだい、一家挙げての祭り好きだったのよ。
――江戸っ子ですね。銀座に一跨ぎじゃないですか。どうりでチャキチャキしているはずです。
今村 ところが、子どもの頃は、おとなしくて泣き虫だったらしいの。5人きょうだいの下から2番目ですけどね、何時からこんなふうになったんだか。(笑)
――鉄砲洲稲荷神社といえば、平安時代に創建された由緒ある神社ですね。区内で唯一、富士塚があって、江戸の絵師、歌川広重の「名所江戸百景」にも描かれているようです。
今村 私の育った町は、赤穂四十七士にもご縁がありましてね、それにまつわる話を子どもの頃によく聞かされたものです。(元禄十五年十二月十四日、両国吉良邸において、主君の仇を討った赤穂浪士の隊列は、鉄砲洲に入った後、築地方向に進み、今のJR新橋駅の手前で東海道に出て、主君の眠る泉岳寺に到着したという記録がある。)
――歴史のある良い町ですね。そこから荻窪に住むようになったのは?

春木家に嫁ぎ、嫁いだ後に恋をした。

今村 地元の鉄砲洲小学校から千代田区にある中高一貫校に進み、卒業後すぐに十九歳と一か月で春木家に嫁いできました。女学校の親友にお兄さんがいてね、その子は「お兄さんのお嫁さんは私が探してあげる」って言ってたらしいの。それで私に白羽の矢が立ったみたいで(笑)昭和35年のことです。
――当時としても、ずいぶん早いご結婚ですね。
今村 そうね、だから私は結婚してから恋をしたの。
――はぃ?
今村 主人よ、主人に恋をしたの。その気持ちはずっと変わらないわ。今も変わらない。もう亡くなって5年経ちますけどね。
――お幸せだったんですね。
今村 幸せでした。喧嘩もした筈なんだけど、どんな喧嘩だったか思い出せないの。私が嫁に来た頃は、先代が蕎麦屋から始めた店を戦後、ラーメン・食堂に変えていてね、若い人も大勢いたの。私は、とにかく毎日一生懸命働いたの。子どもも、次々に生まれてね。
――お商売を賄いながらの子育ては、女性としてとても気になるところですが。
今村 お義母さんが子どもたちの面倒を見てくれました。良いお義母さんでねえ、お義父さんもふたり揃って優しい人でほんとに可愛がってもらいました。私、実の両親も好きだけど、それより好きだったかも知れません。感謝してもし切れません。
――お子さん方の教育方針で意見が対立することはなかったですか。
今村 あのね、その事なんだけど、私、今でもほんとに恥ずかしくて堪らない事があるの。上の子が幼稚園に上がった時に、「子どもは親の意見に絶対服従!」って思ったのよ。口に出して言ったわけじゃない、文章に書いたわけでもない、まして、子どもにも言ってないの。ただ、自分の心の中で、そう決意したの。だけど、主人には時々言われました。「お前は自分が子どもなんだよ、大人になり切れないまま、母親になったんだよ」って。
――現在は、その絶対服従の教育効果をどう思われます?
今村 子育てに失敗したとは思いませんけど。っていうのは、みんないい子に育ちましたから。(笑)だけど、子どもは親だけじゃなくて、おじいちゃん、おばあちゃん、おばさん、お店の若い者たち、みんなに育ててもらっていたのよね。どうしてあんなふうに思ったんだか、ほんとに恥ずかしくて堪らないの。
――今村さん、まじめな方だから、気負いがあったのでしょうね。

平成十六年二月 
春木家七十七年の歴史に幕

今村 昭和二年に信州から荻窪に出てきて、蕎麦屋を始めた先代から、私たち夫婦が店を引き継いだのが、昭和四十年でした。その時、店を改装して、中国料理のレストランにしました。それから四十年後の平成十六年に春木家の暖簾をたたむのですが、商売でも何でも、始める時より、たたむ時の方が大変だって言われますよね。その通りです。主人も私も、本当に悩みました。生涯で一番悩んだ時かも知れませんね。だけど、人の流れとか、建物の経年劣化とか、いろいろ考えると、店を閉めるのが最良の方法だとの結論に行きついて、決断しました。建物に「春木家」の名前を残せたのは、ほんとに良かったと思います。また、同じ荻窪で主人の身内の者が、春木家の名で店をやってくれてるのは嬉しい限りです。

愛する荻窪の町に
お役に立つのならと

――町会長のお役目について、お聞かせ下さい。
今村 荻窪白山親和会町会長をお引き受けしたのは、主人が亡くなって一年後です。主人は気配りの出来る優しい人で、長年、商店会会長、町会長を務めてきたのですが、私にそれができるかどうか、お話を頂いた時は考えました。だけどね、私はこの荻窪の町が大好きなの。愛して止まないの。主人もそうでした。それで思い切ってお引き受けしたの。周囲の人が良く動いてくれてね、私は何にもしてないの。皆さんのご尽力のおかげです。ほんとに感謝、感謝の毎日です。
――荻窪は、若い人にもとても人気がありますね。
今村 それは嬉しい話ですね。私が此処に嫁いできて、もう六十年近くになります。町の姿が、少しずつ変わって行く事を実感しています。でも、どんなに時代が移っても、訪れた人たちが、「ああ、静かないい町だなあ、こんな町でずっと  暮らしたいなあ」と思ってくれるように、清掃や、ごみ処理、お花の手入れなどに気を配っています。
――私も、お花の美しいこの町が大好きです。

2020年・東京五輪の
聖火ランナーに応募

今村 私、実はね、来年の東京オリンピックの聖火ランナーに応募してるのよ。
――えっ!どういうことですか?
今村 別にそんなに驚くことじゃないでしょ。あのね、ランナーを募集しているのを息子に言ったら、都庁で申込用紙をもらってきてくれたの。孫に相談したら「おばあちゃん、いいんじゃない!」って。選ばれるかどうか分からないのよ、抽選だって言うから。(2020年3月26日、福島県を出発した聖火は、121日をかけて日本全国を回り、開催当日、東京のオリンピックスタジアムに到着する。荻窪通過は7月18日(土)とされている。)
――今村さん、本気ですか?あの重いトーチ掲げて青梅街道を走るんですか。
今村 あら、本気よ。このことはあまり口外してないのだけど、親しい人にちょっと言ったら、「いくら今村さんでも、トーチ掲げて走るの、無理じゃない?両手で抱えて走るんでしょ」って言われるの。私、そんな意気地のない事しないわ。ちゃんと片手で持つわ。そしてね、もう片方の手は取っとくの。
――何故ですか?
今村 沿道で応援してくれる人に挨拶するためよ。手を振って、お礼返しするの。
――アハハ! それは素敵ですね。
今村 そうでしょ。だって貴方、聖火台の階段を駆け上がるんじゃないのよ。平らな道を200メートルぐらい走るだけでしょ。それぐらいなら、イケるんじゃない?
――いいですね~、その勇姿をぜひ拝見したいです。
今村 どうなるか分からないわよ、だって抽選に当たらなきゃ、どうにもならないんだから。
――夢が叶うことを祈っています。今日は、楽しいお話をありがとうございました。        荻窪・石橋亭にて