荻窪・花百景 天沼八幡通りの芍薬、牡丹、百合

朝倉さき子
荻窪駅北口から青梅街道を横切って、八幡神社に向かう小道は、「天沼八幡通り」の名が付いている。井伏鱒二は著書「荻窪風土記」の中で、「この表示になったのは戦後のことで、戦前は美人横丁と言う名前だと聞かされていた」と書き「天沼八幡様の裏手は軍人の住宅が集落のように集まっていた。軍人は器量好みで面食いと言われ、美人の細君や娘さんが、八幡様前のこの通りを駅の方に向かって歩いて行った。お昼過ぎになると、三越や帝劇に行く女性が化粧して通って行く。美人横丁という名が似合っていた」飄々と井伏節が続く。今どきは、こんなことを正面切って書くと、ハラスメントだ、男目線だと、忽ち吊し上げを食うだろうが、この時代の女性は意にも介さない。鷹揚というか、肝が据わっているというか、大したものである。
 その通りに面したビルの、4階にあるパソコン教室に、私は1年前から通っている。機械音痴なので、ずっと手書きの原稿で済ませていたが、ある時、友人に「これからは手書きの原稿を受け付ける出版社なんて無くなる」と脅されて、一念発起した。教室の担任講師は、妙齢の女性である。テキパキと授業を進め、生徒がモタモタしても決してキレない。其の上、細面の正統派美人である。更には一年中、雨でも、雪でも、真夏でも着物姿で通し、その着物もご自身で仕立てると言う。見上げたものである。だから、生徒は皆、着物講師のファンになる。板橋生まれの練馬育ち、と言うことだから、この通りが、かつて「美人横丁」と呼ばれたことなど、つゆ知らないだろう。
 さて、それが花百景とどういう関係か、という事になる。「立てば芍薬 すわれば牡丹 歩く姿は百合の花」という粋な都々逸を御存知ないだろうか。江戸の昔から、美人は花に喩えられてきたのですよ。


朝倉さき子(エッセイスト)
1943年愛媛県西条市生まれ。1幕の夢(田端書店)、ステップママ(学苑社)等の著作あり。杉並区荻窪在住