明治天皇荻窪御小休所 撮影:荻窪百点

明治天皇荻窪御小休所

松葉編集長松葉編集長

長屋門はもともとの向き東向きに建ってました。
また、戦前は文化財として指定されていましたが、戦後、再申請しなかったため現在文化財ではありません。

この荻窪ビル(通称アメックスビル) /中田村右衛門屋敷跡と長屋門と明治天皇荻窪御小休所荻窪ビルがある所は昔、名主の中田村右衛門の屋敷でした。青梅街道沿いのこの広い一区劃は、欅などが茂る昼なお暗い鬱蒼とした屋敷森に覆われ、東に向いて立派な長屋門があり、名主宅の風格のたたづまいを見せていました。そのすぐ脇には「明治天皇荻窪御小休所」と書かれた石の標柱があり、明治天皇が御休止されたことを示します。昭和2 2年、中田村右衛門は納税などの事情から、ここを手放しますが、それには「長屋門は残すように」という条件が付いていました。しかし、有効使用を採算性で考えてビルを建てるとなると、長屋門は邪魔な存在です。土地家屋を中田さんから買った藤澤乙安さんは、約束を守るために、長屋門を建物の南側に移設し、標柱も移しました。ビルは、新宿以西では一番高いビルとなり、アメリカンエキスプレス日本本社がテナントとして入り、通称アメックスビルと呼ばれています。地元では、荻窪に初めての大企業の進出に皆、驚きました。現在は他に株ぎようせいが入っています。
☆長屋門:長屋門は、屋敷の東側に江戸時代に建てられたもので、門は間ロ1 2間半、奥行3間、建坪3 7・5坪(約1 2 4 )の相似形の建物です。正面出人りロは3間で中央に両開きの扉、左袖(側)に3尺のくぐり戸があり、左に幅6尺の出格子作りの武者窓があります。そこは門番の休憩場として使われ畳敷きになっていましたが、今は取り払われて土間になっています。武家風長屋門は、移設の際、消防法の規制により茅葺きは亜鉛引鉄板の不燃瓦に葺き替えられましたが、往年の名主としての立派な風格を今に残します。
☆明治天皇荻窪御小休所:
屋敷の離れは、敷地9 0 0余坪の中に、木造茅葺き平屋でした。間ロ4間、奥行3間、建坪1 1坪7 5、間取りは5畳2室の回り廊下の造りで、9尺の床の間と押人れの総てが杉を使用し、飾り金具ーっない質素なつくりでした。ここで明治天皇が御小休されました。
御小休されたのは、明治1 6年4月1 6日、飯能の近衛師団演習御統監のために名馬金華山号で演習地に向かう途上でした。また、2 3日には英照皇太后、昭憲皇太后五のご同伴で小金井観桜会での花見に青梅街道を行かれる際でここの茶屋風の「離れ」です。その後の、侍従らは観桜会、遠乗りなどで明治末期まで続きました。明治天皇遺跡として東京府史蹟と指定されたのは大正1 5年。昭和 9年には文部省史蹟となりました。第二次大戦戦後には指定を解除されましたが、中田家では記念にと門の脇に標柱を立てました。以前は木柱でした。
なお、戦後、文化財申請をしなかったため、文化財にはなっていません。
中田村右衛門の話として藤澤ハナ工さんは、祖父から聞いた話として、「徳川1 1代将軍家斉が寛政年間( 1 9 7 0年代)に春は雉狩り、秋はうづら狩りと年中行事のように遊猟されました。1 2代将軍家慶も、西の丸時代から休憩したが、将軍が農家に休憩するのは将軍家のご威光にかかわるということを方便に、武家長屋門を建てさせ使用しました」と伝えます。

住所 杉並区荻窪4-30-16