大田黒公園 撮影:荻窪百点

大田黒公園

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太田黒公園の池の鯉は、新潟県小千谷市からから贈られたものです。


太田黒公園は、音楽評論家の太田黒兀雄氏の屋敷後を、杉並区が日本庭園として整備し、昭和56年1 0月1日に開園しました。「土地約3 0 %は公園にしてほしい」との氏の遺志により遺族から杉並区に寄付されたものです
公園はできるだけ原形保存されて池も残し、樹齢百年を越えるイチョウ並木も見事です。
中央の広い芝生広場を囲んで、ケヤキ、アカマツ、シイノキなどの巨木が茂り、落ち着きの景観を演出しています。
太田黒兀雄の仕事部屋があったレンガ色の建物は、昭和8年に建てられた当時としては珍しい西洋館で記念館として保存されました。
館内には氏が生前に愛用したべヒシュタインのピアノ、蓄音機があり、書棚には音楽関係の書籍、思い出の写真が飾られ見られます。
施設として、 数寄屋造りの茶屋、 民家の土間を思わせる休憩所、 池のほとりには「あずまや」 があります。 池には友好交流都市の小千谷市から贈られた鯉が泳ぎます。 憩いの場として区民をはじめ皆さんに親しまれます。 平成1 6年からは紅葉の時期にはライトアップされ、 赤く色づいた園内の散策を楽しませてくれます。 公園の催し広場では公園にふさわしい各種展示会などイベントが開かれます。

 


 

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荻窪東町会便り30年1月号で、文化厚生部長の松井和男氏が「大田黒元雄とその父」と題して、投稿されてますので紹介します。

大田黒元雄とその父

荻窪東町会便り・地域の記憶30年2月号
昨秋の大田黒公園は紅葉がひときわ美しく、テレビで紹介されたこともあり、たいへんな賑わいでした。
同公園は、皆さんご存知のように音楽評論家・大田黒元雄(1893~1979)の屋敷跡地につくられました。昭和八年、元雄はエッセイ集『奇妙な存在』の扉にこう記しています
「二十年あまり過ごした大森から私は先頃荻窪に居を移した。等しく新市街ではあるが、朝夕の微風が近くの畑から肥料の匂ひを運んで来るこの土地は大森に比して遥かに野趣に豊かである。(中略)松の樹陰に新築中の書斎が出来上つた時、私は自分の著作上の荻窪時代を開始したいと思つてゐる」。
いまも松の木立に囲まれて建つ洋館がその書斎です。この年40歳を迎えた元雄は、野趣に富んだ荻窪の地に居を移し、心機一転をはかろうとしたのでしょう。
日本の音楽評論家の草分けとして知られる元雄ですが、写真、野球、探偵小説、さらにファッションにも造詣が深く、戦後はNHKのラジオ番組「話の泉」のレギュラー出演者としても活躍しました。その人柄を、音楽評論家の吉田秀和はこう評しています。
「大正リベラリズムが生んだ典型的な教養人、『文化人』の一人で、小田原の財産家に生をうけたからかどうか、人間的に実に大らかで、のびやかなところがあり、魅力ある人だった(『近代日本最初の批評家』)」
「小田原の財産家」と吉田が書いた元雄の父・大田黒重五郎(1866~1944)は、芝浦製作所(東芝の前身)を再建し、箱根水力発電会社をはじめ、現在の電力会社の前身となる水力発電会社を各地で設立した実業家で、元雄はその一人息子でした。重五郎は、口述の自伝で、こう語っています。
「元雄は、幼い時から一度だつて、頭なんか叩かないで済んで来た。(中略)これも妻が良い女であつたから、私が頭を殴らずに済むやうな子供をつくりあげて呉れたのかも知れない。(中略)もう一つ幸いなことは、元雄夫婦の間にも争ひがないことである」
武蔵野の面影を残した庭は日本庭園として整備されましたが、公園に流れるどこかおっとりとした空気は大田黒父子の遺産かもしれません。

平成30年2月 荻窪東町会 文化厚生部 松井和男


 

住所 東京都杉並区荻窪3丁目33−33番12号