sights20034
”写真が伝える「荻窪の記憶」”が展示されてます。
杉並区が作成した”荻窪駅周辺回遊性向上アクションプラン”の一環で作成されました。
案内文を掲載します。
中央線を代表する住宅地の一つ荻窪。
その昔は、江戸に野菜や薪炭を供給する武蔵野の農村でした。
近代の訪れを告げたのは、明治22(1899)年の甲武鉄道(のちの中央線)の開通と、
同24年の荻窪駅の開設でした。
明治末になると、東京の市街に近いにもかかわらず、空気の澄んだ荻窪は、
別荘の適地として注目されます。宅地化が進んだのは、関東大震災後のことです。大正14(1925)年から約10年をかけて行われた、
荻窪を含む旧井荻村の土地区画整理事業によって道路が整備されると、
宅地化に拍車がかかりました。映像は「消すことのできない記憶」と言った詩人がいます。
ささやかな展示ですが郊外住宅地として発展したきた
「荻窪の記憶」の一端に触れていただければ、幸いです。2020年3月
引用元: 写真が伝える「荻窪の記憶」
写真の選択や解説は荻窪区民センター協議会の「荻窪の記憶」プロジェクトの一環としてOBの松井和男氏が協力しました。
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